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048 鷹合神社

2022年1月14日

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鷹合神社は、当初、鷹飼堂と呼ばれ、祭神は午頭天主でした。
明治5年(1872年)、村社の資格を与えられ、地名にちなんで鷹合神社と改められました。住吉神社の旧神官青蓮寺という家の記録の中に、延徳元年(1489年)8月云々、鷹合の祭り云々とあるので、創祀はその以前と考えられます。
境内にある「楠の古木」は、昭和55年(1980年)10月大阪市条例により「保存樹木」としての指定を受けました。
神社東南角の房本宅内に、鏡池という池があります。ある日、酒君(酒君塚古墳の項参照)が鷹の行方を見失い、各地を探しあぐねこの池のそばで思案にくれていたところ、かたわらの椎の大樹にとまる鷹の姿が水面にうつり、喜んでとらえたという伝説があります。
鷹合神社
「鷹合」という地名については「日本書紀」仁徳天皇四三年秋九月条に「依網屯倉阿弭古(よさみのみやけあびこ)が網を張っていると、見たこともない異鳥がかかり、天皇に献上した。天皇は酒君を呼んで尋ねると、これは百済に多い鷹という鳥で、百済では鷹で小鳥を捕らえる遊びが流行していますと答えた。
じゃあお前が飼って慣らせと命じられ、酒君は『おしかわのあしお』というものを脚に、尾に鈴をつけ、訓練して再び帝に差出す。
帝は大いに喜び百舌野で狩猟され、多くの雉を捕らえる。これはすばらしい鳥だ、もっと増やそうと鷹甘邑と呼んだ」との内容があります。

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