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057 中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじゃ)

2021年1月25日

ページ番号:417178

矢田住道(すんじ)の地域にあるひっそりとした神社ですが、延喜式の格式ある神社です。祭神は中臣須牟地神とともに住吉大神(表筒男命・中筒男命・底筒男命・息長帯比売命)を祀り、中臣氏と住吉大社とのゆかりを感じさせます。「須牟地(すむち)」の名がつく神社は他に「神須牟地」、「須牟地曽祢」があり、今は遷座していますが元はそれぞれ磯歯津道(しはつみち)沿いにあったといわれています。

磯歯津道というのは倭の五王の時代(古墳時代)にあった住吉津(すみのえのつ)から喜連に通じる道で新羅など外国からの使節が飛鳥に向かう道でした。「須牟地」には 磯歯津道の道の神であり使節の休息所といった意味があったようです。中臣須牟地神社も当時は現在地より北方の磯歯津道沿いに天神山という小高い丘の麓(現在の矢田北小学校あたり)にあり、外国の使節が来ると摂津、河内、大和から集めた稲で御神酒を醸し使節を歓待しました。その接待役が中臣氏でした。中臣氏はこの地域とつながりが深く、子孫の藤原不比等が、現在「住道(須牟地)廃寺跡」となっている寺を建立したといわれています。

古代から鎌倉時代まで天皇即位後の大嘗祭 (だいじょうさい) の翌年、難波津で八十島祭(やそしままつり)という儀式が行われており、中臣須牟地神社はそれにも関わった由緒ある神社と伝わります。

のちに天神山麓にあった中臣須牟地神社の地域が河内国丹比郡(たじひぐん)に編入されたため、摂津の地域に中臣須牟地神社の祭神の一座、中筒男命(なかつつのおのみこと)を勧請して出来たのが湯里住吉神社といわれています。

(参考文献:東住吉区史、東成郡誌、大阪府の地名)
中臣須牟地神社の写真

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