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日本画家・岡田米山人(おかだべいさんじん)

2009年3月16日

ページ番号:860

 延享元年-文政3年 (1744-1820)

 江戸時代末期の代表的文人画家。寒山寺裏長池(現:北区兎我野町付近。寒山寺は箕面市へ移転し、跡地はモータープールになっている)で米屋を営み、家業の傍ら書画・学問を学ぶ。その後、藤堂藩大坂蔵屋敷(現・天満橋一丁目付近)に仕えながら、絵を独学する。木村蒹葭堂(きむらけんかどう)、浦上玉堂(うらがみぎょくどう)ら多くの文人と親交を結ぶ。隠居後、源八渡しあたりに住む。息子の岡田半江(おかだはんこう)(天明2年-弘化3年 1782-1846)も文人画家で田能村竹田(たのむらちくでん)や頼山陽(らいさんよう)、大塩平八郎ら各界の名士と交遊する。半江は、天保8年(1837)の大塩の乱後、住吉浜に移り住んだ。

 

幽客煎茶図

幽客煎茶図
(大阪歴史博物館所蔵)

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