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十三間堀川

2009年3月16日

ページ番号:687764

十三間堀川の昔
十三間堀川の現在

津守新田の開発を始めた元禄11年(1698)に河村瑞軒により開削されたものと伝えられています。当初、七瀬川(津守の北端、浪速区との境を流れていました)から中在家村(住之江区粉浜)まで開削され木津川の水を受けて南へ流れていましたが、宝永元年 (1704)に大和川の付け替えが行なわれて大和川まで延長されると、流れ込む土砂のたい積とともに南部の川床が上がり、逆に北流するようになりました。

明治の始めごろまでは、農業用水路として利用されただけでなく、両岸に松の並木、楊柳(やなぎ)などがあり、頗る風情にとみ大坂より住吉に遊ぶものが多かった。

また、十三間堀川の名はその幅員が十三間あったからだと説明されている。

今はほとんどが埋め立てられ、昭和45年2月に開通した阪神高速道路堺線の敷地となっており、住之江区内にこん跡をわずかに止めるだけになっています。

(座談会:津守を語る会の記録から)

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