旧街道と道しるべ
2017年12月28日
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旧街道
古堤街道
京橋から寝屋川の北側を、今福、鶴見、横堤と寝屋川に沿って東進し、古川を渡って徳庵で枝切街道と交差し、中茶屋を経て北鴻池町(大東市)に入る。
石切道
徳庵から東六郷の吉原、加納方面にでる道で、新開地が干拓された頃できた井路沿いの新道。
放出街道
南狭山方面を通る東高野街道と京街道を結ぶ道で、ほぼ、摂津と河内の国境を通っており、剣街道とも呼ばれている。(阿遅速雄神社 別名:八剣神社の参詣道であったことによる)中高野街道の延長ともなっており、平野区平野より東大阪市布施を通り、放出を経て北上し、旭区清水町を通って守口市高瀬町に入り、竜田通りで京街道に接する。南北に走り、鶴見区内では、阿遅速雄神社を左に見て、やや曲がりながら北へ進み、放出大橋で寝屋川を渡り、鶴見の住宅街を通り、元椿本チエインの工場の間を抜け、鶴見小学校や緑中学校の東を進む。
小坂街道(枝切街道の一つ)
河内と摂津の国を結ぶ街道の一つ。東大阪市小坂から北上し、御厨で暗越奈良街道と 交差し、長田を経て徳庵で古堤街道を横切り、鶴見区を経て門真市、大和田から守口市藤田町・金田町を経て寝屋川市に進み、仁和寺に至る
道しるべ
阿遅速雄(あちはやお)神社内
元は放出街道と野田街道の交差点に建っていたが、現在は 阿遅速雄神社内で保存されている。天保15年(1844)、先達の元七が発願し若中が奉賛したもの。
今津小学校内
鴻池橋(徳庵橋)の南詰に建っていたが、現在は今津小学校内で保存。天保13年(1842)、光明組先達徳野伊助と徳庵講中の奉賛で建立。
茨田中学校内
鴻池橋(徳庵橋)の北詰に建っていたが、今は茨田中学校内で保存されている。天保2年(1831)、平吉の供養をかねて世話人一同が建立したもの。
石に刻まれた道標の写真:道しるべ(茨田中学校社内)イメージ
中茶屋
古堤街道と枝切街道(小坂街道)の分岐点に建っている。宝暦11年(1761)の建立になるもの。
浜4丁目
鶴見警察茨田北派出所向かい枝切街道(小坂街道)と焼野道の分岐点に建っている。浜村の先達西野武右衛門の建立によるもの。天保9年(1838)にできた。
焼野2丁目
浄教寺前に建立されている。施主は焼野村若中で元治元年(1864)にできた。
徳庵1丁目
寝屋川右岸のスターライト工業の前にある。もとは上に碑か仏像が乗っていたものと思われる。