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区内のスポット(32~33)

2009年10月23日

ページ番号:475

■ 神崎橋

神崎橋

 淀川区の北西と尼崎市の間に架けられた神崎橋。
 「太平記」巻三六には、康安元年(1361年)9月、佐々木秀栓(ひであき)が「神崎ノ橋」を渡って和田(にぎた)・楠木軍と戦い敗れたことが、同巻三八には、翌2年7月にはこの辺りの合戦で神崎橋の橋げたが焼け落ちたことが書かれています。
 以降、神崎橋が再建されたか不明ですが、江戸時代には大阪から神崎(現、尼崎市)を経て西国街道に至る渡しがあり、昼夜、行き交う人が絶えなかったということです。
 大正13年、新たに神崎橋が築かれましたが、昭和25年のジェーン台風で流失、昭和28年再建。昭和53年3月、長さ320m・幅10mの現在の橋が架けられました。
<区民だより「よどがわ」“わがまち見て歩る記”から>

■ 高橋俊乗博士の碑

高橋俊乗博士の碑

 十三東1丁目の善久寺に「高橋俊乗博士之碑」があります。
 高橋俊乗(しゅんじょう)は明治25年生まれで、善久寺第11代目の住職ですが、学問好きで、特に教育学・教育文化史の分野で学者として高い評価を受けた人です。
 「日本教育史」などの大作を著述し、政府の要請で「日本文化大観」の編集委員を務め、さらに昭和17年には天皇・皇后の前で、嵯峨天皇について進講するなどその活躍は目覚ましく、日本教育学の分野に多大な業績を残しました。
<区民だより「よどがわ」“わがまち見て歩る記”から>

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