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区内のスポット(28~31)

2009年10月23日

ページ番号:510

■ 円宗寺・親鸞像

円宗寺・親鸞像

 円宗寺(十八条2丁目)の親鸞上人像は昭和59年10月に建立されました。
 親鸞は、比叡山で修行し、法然上人の門弟となって専修念仏の信仰をめざした鎌倉時代の浄土真宗の開祖です。
 法然は仏教の大衆化を強調した浄土宗をおこし、それまでの宗教とは相いれなかったため厳しく弾圧され、罪をきせられることになりました。
 親鸞は越後へ追放され、批判を浴びながらも各地で布教活動をし、60代後半に京へ戻ってきたそうです。
<区民だより「よどがわ」“わがまち見て歩る記”から>

■ 三国橋

三国橋

 西三国4丁目の三国橋は「太平記」にも記された「三国の渡し」があった場所として知られています。明治6年、当時の能勢街道、「三国の渡し」に神崎川で初めての橋「三国橋」が架けられました。昭和7 年、府道大阪池田線に新三国橋が完成し、利用は減りましたが、橋のたもとには歴史を刻んだ記念碑が設けられています。
<区民だより「よどがわ」“わがまち見て歩る記”から>

■ 十三大橋

十三大橋

 十三の名称の由来のひとつとされている「十三番目の渡し」のあった付近に今の十三大橋(橋長681.24m・幅員20m)があります。この地に初めて橋が架けられたのは明治11年。中津村成小路の村人が架けた有料の木橋です。明治18年の大洪水を契機に淀川が開削され、明治43年5月に新たな大橋が架けられました。
 淀川以北(現在の淀川区)が大阪市に編入されたのは、大正14年4月。その後、府道大阪池田線の整備とともに昭和7年 1月に今の十三大橋が完成しました。
<区民だより「よどがわ」“わがまち見て歩る記”から>

■ 加島銭座

加島銭座

 淀川区の北西に位置する町名『加島』は、一説には鍛冶ヶ島(かじがしま)が転じたものだといわれています。鍛冶を職業とする村人が多く住んでいたことからの由来であるということです。
 江戸時代の寛永通貨、加島銭は有名ですが、大阪における銭座(銭を製造している場所)は高津、難波、加島と3か所があり、中でも、加島銭座は「酒は灘、銭は加島」といわれるほど、良質の寛永通貨(銅銭、鉄銭)を鋳造していました。
 銭座の場所は、加島4丁目の香具波志神社門前からの神崎川堤防までの地域にあったということです。
<区民だより「よどがわ」“わがまち見て歩る記”から>

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