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区内のスポット(20~23)

2009年10月23日

ページ番号:539

■ 白鷹社(はくたかしゃ)

白鷹社

 西中島2丁目5番街区南側に、白鷹社というお社がまつられています。約8畳ほどの敷地の中、門扉から社までは藤棚が設けられ、春には藤の花が見事に咲くそうです。昭和10年ごろ、伏見稲荷大社から白鷹さんという神様がこの地に来られるとき、巳さんもお供して一緒に来られたそうで、社には2つの神様が同居しておられます。大戦当時には空襲の度によく拝んだそうで、おかげでこの一帯は燃えずにすんだそうです。
 地域では、毎年3月末の日曜日に白鷹祭りをして大切にまつっておられます。
<区民だより「よどがわ」“わがまち見て歩る記”から>

■ 鉄橋下の地蔵さま

鉄橋下の地蔵さま

 JR塚本駅から淀川堤防に向かったところの鉄橋下に、地蔵といくつかの石仏がまつられています。見事におなかの出っぱった人間くさいお顔をした木彫りの立像です。正式名は「国鉄下淀川鉄橋際延命地蔵尊」といい、近年立派なお堂に安置されました。
 昭和の初め、このあたりに大きな柳の木があり、堤防も今よりずっと低く、淀川に身投げする人や柳の木にぶら下がって首を吊る人が相次いだそうです。悲しんだ地元の人たちが、薄暗く生い茂った雑木や雑草を刈っておはらいしようとしたところ、柳の根元に巨大な蛇がまきついていました。これは巳さんのたたりに違いないと、当時の古老たちが僧侶を呼んで木の性根を抜いたうえで切り倒し、その幹でこの延命地蔵を彫っておまつりしたわけです。その後は不思議なことに不幸はなくなり、やがて多くの人に信仰されるようになりました。
<区民だより「よどがわ」“わがまち見て歩る記”から>

■ 毛斯倫橋(もすりんばし)

毛斯倫橋

 神崎川をはさんで、加島4丁目と兵庫県尼崎市との間に毛斯倫橋が架かっています。モスリンとは地のやわらかい毛織物で、江戸時代の中頃から輸入され、高級な着物の生地として使われていたものです。
 明治になって日本で初めての毛斯倫紡織会社が中津に設立され、安くて良質なモスリンが生産されるようになりました。
 この橋は大正2年に架けられたもので、中津の本社と園田や今津の工場との間を、モスリンを積んだ運搬車が往来することからその名がつけられました。
<区民だより「よどがわ」“わがまち見て歩る記”から>

■ 野々宮の力石

野々宮の力石

 野中南1丁目の野中福祉会館の横に野々宮神社という小さな神社があります。この境内に区内ではここだけにしかない力石が安置されています。江戸のころ、年ごろになった青年たちは神社のお祭りなどで力石を差し上げて見せ、その力を競い合いました。それは人びとの前で十分に力がついたことを示し、大人の仲間入りをする一種の儀式のようなものでした。
 野々宮の力石は長径60cm、短径40cmほどの卵型で、重さは米俵ひとつ分の60kgぐらいだと思われます。米俵が持てなければ、一人前の大人と見なされなかったことがうかがえます。
<区民だより「よどがわ」“わがまち見て歩る記”から>

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