よどじん(平成26年5月)
2017年2月1日
ページ番号:280247

「番台一筋60年」

のれんをくぐると、足元に広がるカラフルなタイル貼りの玄関。サンダルを脱ぎ捨て、ガラガラッと勢いよく扉を開くと、今日もやさしい笑顔が迎えてくれる。
「きたでぇ。」
「はい、いらっしゃい。」
そう、ここはまちのお風呂屋さん。新高5丁目にある銭湯「第二末広湯」。
笑顔のあるじは…
「番台一筋60年」井上 和佐子(いのうえ わさこ)さん
番台から見つめ続けた60年

昔ながらの銭湯が数多く残る淀川区の中でも、約90年という随一の歴史をほこる老舗銭湯。
和佐子さんのおばあさんが昭和の初めに店を譲り受けてから約80年、女性3代で番台を引き継ぐ。先代であるお母さんから番台を受け継ぎ、子ども3人を育てながら、雨の日も風の日もそこから見つめ続けた和佐子さんの60年。
その瞳にはいったい何が映っているのだろう。
「いろんなことがあったねぇ」

和佐子さんがまだ番台に座る前、戦時中の話。「道路を挟んだ向かい側の建物が空襲で焼けたときは大変だった。大事な着物が燃えないように、私の母が銭湯の湯船に浸けてしまったんだけど、結局水浸しで駄目になっちゃった(笑)」
当時、和佐子さんは、学徒動員として十八条あたりの工場で軍服のボタン付けの仕事をしていたそうだ。「いつのまにか手芸が趣味になって、番台でもいろいろと編んだもんよ。」と懐かしそうに振り返る。
変わり行く時代

「昔はその神棚の横にテレビを置いてたの。そしたらみんなが見に来ちゃって、人があふれかえってたわね」
「小さい子どももたくさんきてて、よくそこの身長計で背を測ってたわ。すごい年代物でしょう(笑)。」
銭湯という場所が人をつなぎ、時をつなぐ。

時の流れを感じる掲示物

女湯のロッカーは相当な年代物
助け合って生きてきた

風呂のある家庭が少なかった頃は、赤ちゃんを連れてきたお母さんがゆっくりお風呂に入れるように、和佐子さんが赤ちゃんを抱っこ。今でいう「一時保育」がここでは自然に行われていた。
銭湯という場所が人をつなぎ、心をつなぐ。

女湯のタイル絵。金太郎さんですね。

男湯のタイル絵。こちらは天女が描かれています。
番台を見つめ続ける人がいる

風呂上がりの団らんスペースでは、常連さんが世間話に花を咲かせる。
約50年、ほぼ毎日通い続ける山本さん(写真右)。以前勤めていた電気関係の会社から、たまに届く助っ人の依頼が楽しみな、75才現役電気技師。
「近所にある子どもの家に行けば、風呂もあるんやけどな。ここがええんや。ここの風呂は、よう温もる。」
お隣は通い歴15年目の若手(?)馬田さん64才(写真左)。
元国鉄職員で、その後トラック運転手を務めた馬田さん。昼間はのんびりと淀川で釣り糸をたらす。
「この前、50センチのキビレあげたんやでぇ」

よう温もるわ~

お風呂の前の決まりごと
私には番台という場所がある

「番台の仕事があるから、子どもたちと旅行にもほとんど行けなかった。寂しい思いをさせてしまったかもしれませんね」しかし和佐子さんは続ける。
「この年になると家でボーっとテレビを見ているのが、普通かもしれない。でも、私には番台という場所がある。仕事をさせてもらえるのは、ホントにありがたいことです。」
今日も「よっこいしょ」

変わりゆくまちの姿やひとの暮らし。心の中でうつろいかけたその景色が、ここにある。色あせないぬくもりの空間がここにある。
そして、今日も「よっこいしょ」と自分の場所に腰を下ろす和佐子さん。
「この番台は私よりずっと先輩でね。昔はもう少し大きかったんだけど、壁の鏡を大きくするから少し狭く削ったのよ」
何とも言えない温かい色合いの番台と、和佐子さんのやわらかい笑顔がよく似合う。
「もう歳だから力仕事は出来ないんだけどね。元気なうちはここに座らせてもらうよ。」
和佐子さん、今日も笑顔をありがとう。

そうそう、風呂上がりにはみかん水。
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