あべの歴史マップ
2014年3月25日
ページ番号:1570
The history map of ABENO

阿倍野区役所では、情報発信力強化をめざしさまざまな取組みを行っています。
今回、区民のみなさまに阿倍野区に親しみ・関心をもっていただくことを目的として「あべの歴史マップ」を、大阪市立工芸高校と連携し作成しました。
デザイン:大阪市立工芸高校 ビジュアルデザイン科 平岡風花(ひらおか・ふうか)さん
また、過去に発行したもののため、一部現在使われていない名称などがあります。
- 歴史ガイド「あべの発見!7つのあべの物語」
歴史マップと同様に、阿倍野区の魅力あふれる歴史を7つの物語にしました。印刷物の在庫はありませんが、デジタルブックでご覧いただけます。
あべの歴史マップ
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英語・中国語・韓国語版 阿倍野区歴史マップ
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あべのの由来
名所・旧跡

1 阿倍寺跡推定地の碑(大阪市阿倍野区松崎町3-6)

当地を領有していた阿倍氏の氏寺と考えられ、一族には藤原鎌足(ふじわらのかまたり)らと大化の改新を推進した左大臣阿倍倉梯磨呂(あべのくらはしまろ)がいました。当時の塔心礎から相当規模の堂塔伽藍(どうとうがらん※)が存在していたと思われます。※堂や塔、伽藍(仏道の修行をするところ)の総称

2 天彩画塾跡(大阪市阿倍野区松崎町3-7)

3 大阪市立工芸高等学校(大阪市阿倍野区文の里1-7)

4 もと熊野街道(大阪市阿倍野区阿倍野元町9)

熊野街道とは、熊野信仰が盛んであった頃、熊野詣での往復に使われた大阪の八軒家(中央区天満橋京町)と紀州の熊野三山を結んでいた道路のことです。

5 松虫塚(大阪市阿倍野区松虫通1-11)

6 丸山古墳跡の碑(大阪市阿倍野区丸山通2-8)

面積82平方メートルの円墳で、そのいただきに長方形と宝冠(ほうかん)型の石塔2基が安置され、その西側やや低くなったところに、濠の跡らしい大小2つのくぼ地がありました。古墳の形状から丸山と呼ばれていました。

7 海照山正圓寺(かいしょうざんしょうえんじ)(大阪市阿倍野区松虫通3-2)

古義(こぎ)真言宗京都東寺の末院で天慶2年(939年)、現在地の東方500メートルの地に開基し、「般若山阿部寺」と呼んだのがこの寺の縁起です。現在は、上町台地西端の丘陵にあり、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん=聖天)が祀られているため、「聖天(しょうてん)さん」と呼ばれています。

8 桃ヶ池公園(桃ヶ池町1)

公園内にある桃ヶ池は、古い池で、上町台地と我孫子(あびこ)丘陵間の低地にあって、猫間(ねこま)川につながっていたといわれています。古くからモモが池(脛ケ池・百ケ池・股ケ池)と呼ばれていました。

9 馬車鉄道跡の碑(東天下茶屋駅構内)

明治33年(1900年)、天王寺西門前から東天下茶屋間に阪堺電気軌道の前身となる大阪馬車鉄道が開通し、レールの上を馬車が走りました。その後、沿線一帯の開発とともに電化に切り替えがすすみ、馬車鉄道は廃止されました。

10 安倍晴明(あべのせいめい)神社(大阪市阿倍野区阿倍野元町5)

祭神は、孝元(こうげん)天皇の子孫で、陰陽道(おんみょうどう)の祖として広く知られている安倍晴明(あべのせいめい)です。「晴明宮御社伝書」には、平安朝時代の寛弘4年(1007年)、一条天皇の命により創建され、大正14年(1925年)に現在の社殿が造営復興されました。

11 阿倍王子神社(大阪市阿倍野区阿倍野元町9)

「阿倍権現縁記(あべごんげんえんぎ)」によれば、仁徳天皇のご創建と伝えられ、また一説には、古代この地を本拠とした阿倍氏の創建ともいわれています。平安朝の時代に熊野詣が盛んになると、熊野九十九王子第二王子社として、にぎわっていました。

12 経塚(きょうづか)(大阪市阿倍野区阿倍野元町15)

「摂陽郡談(せつようぐんだん)」の聖徳太子が、諸経の文字を一石に書いてここに納めたとする説と、「阿倍権現縁記(あべごんげんえんぎ)」の疫病流行に際し空海(弘法大師)が1000部の薬師経を書写し、この塚に納めたとする2つの説があります。

13 阿部野神社(大阪市阿倍野区北畠3-7)

北畠顕家(きたばたけあきいえ)と父親房(ちかふさ)の両公が祀られています。神社は顕家が足利軍と戦った古戦場にあり、明治15年(1882年)に阿部野神社と号して別格官幣社に列せられました。現在の社殿は、昭和43年(1968年)に再建されたものです。

14 伝北畠顕家(きたばたけあきいえ)の墓(大阪市阿倍野区王子町3-8)

北畠顕家は、南北朝時代の武将で父の親房(ちかふさ)とともに後醍醐(ごだいご)天皇に仕え、奥羽平定にあたった人です。顕家が20余騎の手兵で足利尊氏の大軍を迎え撃ち、弱冠21歳で戦死したところと伝えられています。

15 小町塚・播磨塚(大阪市阿倍野区王子町4-3)

小町塚
古書「芦分舟(あしわけぶね)」には、小野小町の塚と記されていますが、小野小町がこの地で亡くなったという記録はありません。この塚は、小野小町の美貌や才能にあやかりたいとの思いから築かれたものとの説が有力となっています。
播磨塚
南北朝時代の住吉の合戦で、南朝の楠木正行(くすのきまさつら)との戦いに敗れた北朝軍の播磨の大守赤松円心(たいしゅあかまつえんしん)の子貞範(さだのり)が、戦死した将兵の遺骨を納めて塚を築き、冥福を祈ったと伝えられています。
- 大阪市史編纂所
歴史の内容に関するご質問は、大阪市史編纂所へお問合せください。
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