被災地・宮城県を訪問してきました
福島区内の3中学校の生徒、各校から3名ずつ計9名と引率者で、8月1日(火曜日)から8月3日(木曜日)まで、2泊3日の行程で東日本大震災の被災地である宮城県を訪問しました。
今年度から震災の被害や防災の心がけなどに加え、現地でのSDGsの取組について現地の方々から直接学ぶことができ、非常に貴重な経験をすることができました。
今後、区内で行われる防災行事などの場を借りて、地域の皆様に中学生から報告を行う予定です。
行程1日目
出発式
1日目の午前8時10分に、福島区役所ロビーで出発式を行いました。深津区長のあいさつに引き続き、参加生徒の代表として野田中学校3年生の溝辺さんがあいさつをしました。
ドキドキの2泊3日にわたる学習の始まりです。被災地で色々吸収してきます。
お見送りに来ていただいた保護者の皆様、先生方ありがとうございました。
宮城県到着
仙台国際空港に到着しました。
青く澄み渡るような晴天でした。それでも、大阪と比べるとじめじめとした感じはなく、爽やかな風が吹いていました。
写真は現地で合流した講演をしてくださる方を紹介していただいているものです。
献花(千年希望の丘相野釜公園慰霊碑)
最初に「千年希望の丘相野釜公園慰霊碑」に献花をしました。
中学生が慰霊碑の前で黙とうをした後、今回の体験学習の代表をしている八阪中学校3年生の木下さんが献花をしました。この新芽の形をしたモニュメントの高さは襲ってきた津波の高さと同じだそうです。
この地には9mもの津波が押し寄せました。ここで親戚をなくされた仙台YMCAの佐竹さんがその当時の状況や今の心境などを話してくれました。
山元町震災遺構 中浜小学校
中浜小学校は、海から400mのところに位置しています。建替えをする際に保護者たちの希望により、2ⅿ盛り土をして学校を建てたそうです。震災の際、停電になる前に校長先生はテレビで10分後に津波が来るとの情報を得、下校していなかった生徒や教職員、避難してきた人々を屋上に避難するよう指示し、避難した90人全員が誰一人欠けることなく助かったそうです。幸運にもこの盛り土と停電の時間、校長先生の判断が重なり、90人の命を救いました。
この階段を90名が上って屋上に行きました。津波の高さは10m以上あり、屋上に逃げなければ助からないと判断し、校長先生は生徒や教職員、避難してきた人々を屋上に行くように指示しました。
屋上で助かった90名は、屋上からつながっている屋根裏倉庫で寒さと余震の中、冷たい床の上で一夜を過ごしました。
柱に巻付いた鉄骨は元からここにあったものではなく、どこかからか流れてきたものです。鉄骨は津波の威力で曲がってしまったそうです。この鉄骨は津波の流れの方向を知る手がかりであるとともに、津波は様々なものを巻き込みながら襲ってくることが分かります。
この石碑の重さは何と2トンもあります。これが、津波の威力で流されました。津波の恐ろしさや威力を伝えるため当時のままにしています。
講演:東日本大震災について
一日目最後の学習は、日本基督教団石巻栄光教会主任担任講師の川上さんから、東日本大震災についての講演をお聞きしました。津波被害と原発による放射能被害などについて講演していただきました。
行程2日目
塩竃市津波防災センター
2日目最初の行程は塩竃市津波防災センターです。
この施設には発災後1週間に焦点をあてた映像や展示物があります。ここでは、「津波が来たら高台に逃げる。自分自身の身を守ることを第一前提とする」ということを教えていただきました。また、発災後7日間にどのような生活や行動をしていたのかや家庭で備えておく非常時の生活用品について学びました。
松島蒲鉾本舗
次に松島町に移動し、松島蒲鉾本舗において、SDGsの学習として笹かまぼこの手焼き体験を経験し、魚の消費量が減少していることや魚食文化の大切さ、そして、すり身として頭から骨まで食べることにより取った魚を粗末にしないということを学びました。その後バスに戻って今回の体験の振り返りとSDGsに関するワークショップをしました。ワークショップでは違う学校の生徒と教師で3つのグループに分かれ、SDGsの17の目標にうち、特に大事であると思う4つの目標を選択し、選択した理由をグループごとに発表しました。
石巻市震災遺構 門脇小学校
午後から石巻市の震災遺構である門脇小学校を訪問しました。
この小学校は津波と火災の両方の災害を経験した貴重な建物です。ここでは、先に下校した生徒を除き、生徒224名と教職員20名は日頃からの避難訓練の成果により安全なところに避難でき生き残りました。
津波に流されて破壊された消防車や自家用車などが展示されていました。
津波火災により全焼してしまった教室の一部です。
この火災の原因は、津波により流されてきた家や車から火がついたからだと言われています。これほど燃えていても金庫の中の卒業証書は無事であったため、約1か月後の卒業式には卒業証書を無事渡すことができました。
地元住民である遠藤伸一さんの体験談をお聞きし、インタビューをさせていただきました。遠藤さんは3人の子どもを津波で亡くされたそうです。2番目の男の子の遺体を発見した後死のうかと思ったそうですが、同じ避難所にいた方が「一人にしたら死んでしまうかもしれない」と言い、誰かが必ずそばにいてくれたそうです。その経験から、今は配偶者とともに津波で親などを亡くした子どもたちの居場所づくりをされているそうです。
行程3日目
三陸復興国立公園岩井崎
3日目、予定より早く着いたので、岩井崎園地に立ち寄りました。ここでは17mを越える津波が押し寄せてきたそうです。この津波により形が変わった木が写真のものです。津波に立ち向かう龍のように見えることから「龍の松」と言われるようになったそうです。
気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館
最後の訪問先は、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館です。
この施設の語り部である佐藤さんは、小学校1年生の時に被災したそうです。写真は津波により3階の校舎まで車が流されてきたものを当時のまま保存しているものです。
この気仙沼向洋高校では、校舎の3階まで津波が襲ってきましたが、当時屋上に避難していた生徒や教職員、工事関係者は迫りくる津波が屋上を越えるのではないかと思い、さらに上に避難しました。実際には屋上まで津波は来なかったのですが、それくらい津波は高く襲ってくるように見えたそうです。
この写真は、津波に流されてきた家が体育館と校舎に挟まれて止まっているものです。震災当日に教職員が学校の周りを見回っていた際に発見したそうです。家の中には体の不自由な老夫婦が生存されていましたが、自力で家から出ることができないため、低体温で亡くならないよう、教職員たちが順番に一晩中老夫婦に話しかけ助かったということです。
帰阪式
遅れることなく、予定の時刻に福島区役所に帰ってきました。参加生徒代表である下福島中学校2年生の飯田さんが帰阪のあいさつをし、深津区長も労いのあいさつをしました。
お迎えに来ていただきました保護者の皆様、先生方ありがとうございました。
最後に中学生全員と深津区長が揃って記念撮影をしました。
皆さま、お疲れ様でした!