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令和7年度中学生体験学習事業参加生徒の感想

2025年9月25日

ページ番号:659677

令和7年7月29日~31日に中学生体験学習事業で宮城県を訪問した生徒の感想です。

東日本大震災の被害や復興の状況などについて学んだ生徒たちがどう感じて福島区に帰ってきたかを感想文として提出していただきました。

 

参加生徒の感想文

八阪中学校

3年生  坂井 雄飛

 僕はこの3日間で震災についてたくさんのことを学びました。その中で一番印象に残った出来事があります。

 それは、門脇小学校を訪れ津波火災について学んでいる時でした。急に聞いたこともない音がスマホから鳴りました。最初は何が起きたのか全くわかりませんでしたが、館内放送などから津波警報を知らせる音だとわかりました。状況は理解できたけど、これからどうなるのか不安や恐怖から落ち着いていられなくなりました。しかし、門脇小学校の語り部さんが落ち着いて指示を出してくださったので、少しずつ冷静になることができました。この出来事から、被害に遭った人たちも地震の後、津波が来る状況だったことに不安や恐怖と隣り合わせだったのではないかと感じました。

 門脇小学校から避難する時に、語り部さんが僕たちに「絶対に生きろよ」と言われました。その言葉を聞いて、当たり前のように生きていることが当たり前ではないと感じました。震災当時、防災対策庁舎に避難して安全を確保しようとした人は50人ほどいました。しかし、助かった人はわずか10人しかいませんでした。それは、予想されていた津波の高さよりはるかに高い津波が防災対策庁舎を襲ったからです。このように津波は予想していることを当たり前のように壊していきます。僕たちは今も当時のまま残っている防災対策庁舎を見学しました。鉄骨でつくられた防災対策庁舎がほとんど崩れているのを見て、改めて津波の怖さを感じました。

 僕は、いろんな体験やお話を聞いて、まだまだ震災について知らないことがたくさんあることに気づきました。訪問中に実際に体験してきたことを忘れず、自分にできることは何かを考え続けたいです。また、訪問した僕たちだけが知っているのではなく、一人でも多くの方々に伝えていきたいです。


3年生  谷口 虎太郎

 私が被災地を訪問して感じたことは、津波などの自然の大きさと恐ろしさです。3日間の学習で、特に2日目は実際に津波警報を体験しましたが、行った場所全てで津波の被害や、そこから復興した姿を見ることができました。3日間を通して、安全だと思っていたものが凶器になる可能性があることや、安全なはずだと避難した場所にまで津波が来たこと、臨機応変な対応が人の命を救うこと、津波は曲がり、海岸ではない方から来る場合もあること、例えば服を繋いでロープを作るなどのアイデアが人の命を救う場面もあるということ等を学びました。3日目の南三陸311メモリアルでは「命がなければ人は守れない」「想像し、次の手を考え、判断する」「2・3回目の避難を想定する」「訓練・知識・経験は本番で必ず活かされる」「その場のリスクを評価、査定する」などの被災者の教えについて考えさせられました。また、3日間どの日もどこかの施設で1回は言われた言葉、【自然の前に人は無力である】には、実際に被災した方々の悲痛な叫びが込められていて、大阪でも起こるとされている南海トラフ巨大地震に対してどう向き合っていくのかを深く考えました。私が特に感じたことは、当たり前にあるもの、光景、そして人は思っている以上に脆く、儚く、大切なもので、だからこそそれらは光り輝くということです。海の語り部の方は、些細なことで喧嘩したその日に東日本大震災が起こり、謝りたくても謝れなくなってしまったとおっしゃっていて、感謝や謝罪の言葉を先送りしてはいけないということを教えてくださいました。大切な人とお別れのあいさつもなしにいきなり会えなくなってしまうことの辛さを考えると、寂しい気持ちになりました。私達はこれからも災害について考えなくてはなりません。実際に南海トラフ巨大地震が起きた時、一人でも多くの人が生き残れるよう、今から対策をする必要があると思いました。


3年生  加藤 真希

 私は大阪で生まれ育ちました。住宅地に住んでいるため、建物が建っていない土地と言われれば公園ぐらいしか思い出せません。山元町震災遺構中浜小学校へ見学するためバスを降りた時、周りの建物が少なく小学校の校舎のみ残っている景色にとても驚きました。震災以前もそのような風景だったのかなと思っていると、当時の校長先生より「元々集落があった」と聞き、震災の恐ろしさを改めて認識しました。中浜小学校、南三陸311メモリアルにて、震災前の町を再現したミニチュア模型を見ることが出来ました。どちらも一軒ずつに○○さんの家、とプレートがあり言葉にならないほど悲しい出来事だと思いました。

 私が中学生体験学習で印象に残っている言葉は2つあります。

 1つ目は「明日がなかった人たちがいる。」

 これは丸文松島汽船での語り部さんよりお聞きしました。当たり前に生活していても、死んでしまうことがある。そして残された側も自分の言動を後悔してしまうことがある。日々周りに感謝しながら過ごしたいと思いました。明日謝ればいいか、感謝すればいいかではなく、言える今のうちにチャンスを逃さないようにしようと思います。

 2つ目は「生きて。」

 これは石巻市震災遺構門脇小学校でお聞きしました。この日、カムチャツカ半島で地震が起きました。そこで見学途中に津波警報が発令され、見学中止を余儀なくされたのです。警報が出てバスで小学校を離れることとなった時、語り部の方が「見学が警報で中断されてしまったことが(震災についての)一番の学びだね」とおっしゃっていて、とても印象に残っています。

 今回の中学生体験学習事業で震災の恐ろしさと身近さを体験しました。

 今までの生活や周りの人が簡単に変わってしまうことを知りました。この経験を家族や友人、地域の方に伝えていきたいです。そして今回知った知識を活かし、次の災害につなげていきたいと思いました。貴重な経験をさせていただきありがとうございました。

下福島中学校

3年生  𠮷若 伊織

 私は、この中学生体験学習事業で、色々な場所に行き、色々なことを学びました。順を追って一つ一つ感想を述べたいと思います。

 1日目、最初に訪れたのは、山元町震災遺構中浜小学校です。ここでは、津波の被害を受けた校舎をそのままの状態で残しており、私は初めて津波の恐ろしさを目の当たりにしました。そして、当時中浜小学校の校長先生であった語り部さんに、震災当時の様子などを話していただきました。

 次に、丸文松島汽船に乗り、語り部さんのお話を聞きながら松島を回りました。語り部さんは、東日本大震災の朝、ご両親とけんかし、そのまま津波が来てご両親を亡くしたそうです。いつどんなことが起きるかわからない、いつ大切な人がいなくなるかもわからない、だから、大切な人とは嫌な気持ちのままお別れなんてしないように、常に仲良くしておいた方が良いと私たちにおっしゃいました。私は、この言葉を胸にこれからも生きていくつもりです。

 2日目の朝、門脇小学校を訪問している時、驚くことに、カムチャツカ半島付近で地震が起き、宮城県では津波警報が発令されました。津波警報のサイレン音が響き、私はこれまで聞いたこともない音に恐怖しました。バスで避難する前、小学校の語り部さんが、「この経験が一番の学びになる」そして「生きるんだよ」とおっしゃいました。そして私たちは岩手に避難しました。

 3日目。まずは、南三陸311メモリアルを訪れ、映像を見ました。映像の中で、避難場所に逃げたら終わりではなく、次の避難場所も考えておくことが大切という言葉が印象に残りました。その後、南三陸町旧防災対策庁舎にて献花をし、亡くなられた方を追悼しました。その後、JRフルーツパーク仙台あらはまに行き、ブルーベリーをたくさん食べ、無事大阪に帰ってきました。この事業は、防災に対する意識を高められた良い機会だったと思います。

 

2年生  湯之上 日咲

 私は、東北地方を訪れる前、震災についてはテレビやインターネットで知っているつもりでした。しかし、実際に現地を訪れてみると、その場に立たなければわからないことや、人々の思いを強く感じました。特に印象に残っている体験が3つあります。

 1つ目は「山元町震災遺構中浜小学校」です。東日本大震災当時の校長先生のお話では、「津波は2階の天井まで達したが、90名が屋上に避難し、全員助かった。」と伺いました。私は思わず「全員助かって良かった」と感じましたが、校長先生は、「助かったことは事実ですが、子どもたちに恐ろしい体験をさせてしまったことを、今でも後悔しています。」と語られました。その言葉に私はハッとさせられました。さらに、避難生活の跡も見せていただきました。暖を取るために使われた画用紙や毛布が散乱している様子を目にし、子どもたちは「また津波が来るかもしれない」という恐怖や、「家族と離ればなれになってしまった不安」に必死に耐えていたのだと想像しました。私が単純に思っていた「助かった」という言葉の裏には、言葉では表せないほどの恐怖や不安があったのだということに気づかされました。

 2つ目は「松島海の語り部」のお話です。語り部さんは震災当日の朝、家族とけんかをしたまま仕事へ向かい、その後の津波で家族と二度と会えなくなってしまって、けんかして謝れなかったことを今でもすごく後悔しているそうです。「明日も会えるのが当たり前ではない。だからこそ日頃からきちんとあいさつをし、後悔のないように生きることが大切だ。」と語られました。その言葉を聞いて、私は「大切な人にいつ会えなくなるかわからないからこそ、日々の一言や思いを伝えることを大切にしなければならない」と強く感じました。

 3つ目は「石巻市震災遺構門脇小学校」です。ここで最も心に残ったのは、そのコンセプトである「記憶を紡ぐ、未来へつなぐ」という言葉です。震災は記憶されていても、伝承されなければ未来に活かすことはできません。その理念に私は深く納得し、防災や震災への意識を高めることはもちろん、多くの人に伝えていくことの大切さを実感しました。さらに見学の途中、実際に津波警報が鳴り響きました。警報音やスマートフォンの警告表示を見て、不安を覚えました。被災当時の方々は、この何倍もの恐怖を抱えながら過ごしたのだと思うと胸が痛みました。

 今回の訪問を通して学んだことは、「震災をただ過去の出来事として知るだけでは不十分だ」ということです。中浜小学校では「助かった」の裏にある恐怖や不安を知り、松島では震災を伝え続ける意義を実感しました。私はこの経験を通じて、防災への意識を高めるだけでなく、大切な人との時間を後悔しないように過ごし、震災の記憶や教訓を未来へつなげていくことの重要性を強く心に刻みました。これからも、この学びを忘れず、日々の生活の中で実践していきたいと思います。

 

2年生  篠原 晴希

 私が体験学習に行って学んだことは3つあります。

 まず1つ目は、日頃からの準備です。私が仙台に着いた時、正直に言うと「家少ないな」と思いました。なぜなら、すべて津波で流されたからです。多くの人は津波が押し寄せる前に家族と集合場所を決めておらず、離ればなれに避難することになったり、違った場所に避難して、津波が来て流されてしまうことがあったそうです。しかし、しっかり準備していた中浜小学校では、生徒と教員90人全員が助かったそうです。

 2つ目は、日頃の感謝です。いつもしてもらっていることは当たり前ではないということを実感しました。南海トラフが起こるなら、きっと私は後悔するでしょう。なぜなら、私はいつもみんなに迷惑をかけているのにみんなに謝れていないし、みんなに感謝できていないと感じているからです。

 3つ目は、自分の命は自分で守ることです。私は3日間、いろんな場所に行って、たくさんの人から話を聞きましたが、いつも、「まずは他の人の命を助けるのではなく、絶対に自分の命を優先しなさい」と言っていました。ある人の話によると、家に子どもが残っていると言って避難場所から自宅に戻り、そのまま亡くなった人がたくさんいたそうです。

 私はこの体験学習で学んだことを活かして、みんなに伝えていこうと思います。

野田中学校

3年生  伊保 良祐

 私は今回の被災地訪問で、ある一つのまとめを見出すことができました。様々なことを見て、様々なことを聞いて、様々な体験を通じて、私が見出したまとめ、それは「自然災害に立ち向かうには、防災をするしかない」ということです。

 7月の終わりに、宮城県へ被災地訪問に行きました。様々な体験をしていく中で、私は「防災」という言葉にとても惹かれました。なぜなら、私の知っていた防災よりももっと奥の深いものだったからです。

 南三陸311メモリアルを訪れた際に、大きなスクリーンでビデオを見ました。次々と流されていく家屋、水に埋まっていく土地、人々が避難した場所でさえ、津波に流されてしまっていました。そして一つの疑問がうまれました。なぜこんなにも防災を行っていたのにこれほどの被害が出てしまったのか。答えは簡単でした。東日本大震災が、想定よりもっともっと大きなものだったからです。

 これまで私の知っていた防災は、非常用持ち出し袋を準備する、避難場所を決めておくといった、小学校や中学校で学んだことくらいでした。もちろんそれらも立派な防災です。ですが、災害はいつ、どこから、どれくらいの大きさでやってくるのか、残念ながら誰にもわかりません。今まで学んだ知識に加えて、自分がどのような防災をしなければならないのかを自分で考える必要があると私は思います。例えば、もしも決めていた避難場所が使えなくなったら、あなたは次どこへ避難しますか。もしも近くに腰の悪い祖母が住んでいたら、あなたはどのようにして避難しますか。災害時の状況は人それぞれです。だからこそ考えなければなりません。災害を防ぐために自ら考えることで、緊急時に適切な判断を下すことができるのです。救える命があるのです。


3年生  入江 夏音

 私は、中学生体験学習事業でたくさんのことを学ぶことができました。

 例えば、丸文松島汽船で日々の大切さを学びました。語り部さんが、東日本大震災の日、小さなことで両親とけんかをしてしまい、「行ってきます」も言わずに家を出てしまったという話をされていました。帰って来た頃には、両親は帰らぬ人になってしまい、一生話せない状況になってしまったとおっしゃっていました。最後に、「当たり前にやって来る日は当たり前じゃないんだよ」と私たちにおっしゃいました。その時私は、改めて日々を大切にしようと感じました。

 他にも、南三陸311メモリアルでは、たくさんのことを考えさせられる映像を見ました。映像では被災された方たちのお話やクイズ形式で学ぶことができました。その中でも印象に残っている質問は、「今避難すると決めている場所がダメだった時の2つ目の避難場所を決めていますか。」という質問です。私は決めていませんでした。この中学生体験学習事業に行ったことで学べたことだと思います。

 また、一生忘れない思い出にもなりました。なぜなら、2日目に津波警報をリアルで体験をし、避難したからです。想像していないことでとても怖かったのを何日も経った今でも覚えています。その時、私たちは門脇小学校を見学していました。そこの方が私たちが避難する時、「生きてね」ということをおっしゃいました。私はグッと胸に刺さりました。

 私は、中学生体験学習事業に参加してとても良かったと心の底から思いました。この体験で学んだことを活かし、自分の人生、命を守りたいと思いました。自分を守り、そして周りの人や家族、友だちなども守りたいと思いました。


3年生  上甲 柑那

 私は、この3日間でたくさんのことを学ばせてもらいました。私がこの被災地訪問に立候補した理由は、南海トラフ巨大地震が近い将来来ると言われているからです。なので、実際に起きた大きな地震や津波がどのような影響を与え、南海トラフ巨大地震でどういう被害が起こり得るのかを知り、対策したいと思いました。

 私が一番印象に残った施設は、南三陸311メモリアルです。この施設では、映像で津波や地震がこれほど残酷なものなのかと実感できました。実際に東日本大震災を体験して生き延びた方でも、大事な人を失ったり、生死をさまよい、トラウマを抱えている人がいたりすることを知りました。

 私がこの施設で一番学んだことは、避難する場所を2つ決めておくことです。1つしか決めていないと、その避難場所が危険になった時に、その後にどこに避難するのかを瞬時に判断できないと思いました。地震や津波が起こるとそれだけでも混乱すると考えられるので、事前に安全な場所を複数考えておくことが大切と思いました。

 私は、この被災地訪問の途中で津波警報が鳴った時に、これはやばいと恐怖を感じました。初めて来た所で危険な状況になると何もできず怖かったです。なので、旅行に行った時でも事前に避難経路を確認することは大事だと思いました。

 私は、この被災地訪問で地震や津波の知識が浅いことに気がつきました。なので、今回学んだことをできるだけ多くの人に伝え、いつ震災が来てもいいように準備しておこうと思いました。

 ※ 掲載の感想文は、誤字などについて若干の修正を加えていますが、中学生が感じたままの被災地の状況や自分たちが得た知識の範囲での感想をお伝えするため、ほぼ原文のまま掲載しています。

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