令和7年度中学生体験学習事業を実施しました
2025年9月3日
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被災地 宮城県を訪問してきました

福島区内の3中学校の生徒9名と引率者で、7月29日(火曜日)から31日(木曜日)まで、2泊3日の行程で東日本大震災の被災地である宮城県を訪問しました。
震災の被害や防災の心がけなどについて現地の方々から直接学ぶことができ、非常に貴重な経験をすることができました。

行程1日目

出発式

午前7時15分、福島区役所ロビーで出発式を行った。工藤区長のあいさつに引き続き、参加生徒の代表として八阪中学校3年生の谷口さんがあいさつを行った。「勉強したことをしっかりと持ち帰ってくる」という強い意気込みが伝わってきた。お見送りに来ていただいた保護者の皆様、先生方ありがとうございました。

体験学習1 山元町震災遺構 中浜小学校

2011年3月11日、約10mの津波が押し寄せる中、児童、教職員、保護者ら90人が屋上に避難し命をつないだこの学校で、当時の校長先生にお話を伺った。

校長の判断
マニュアルでは20分の距離にある内陸部の避難所に避難することになっていたが、津波は10分で到達すると言われていたため、屋上にある屋根裏倉庫への避難を決断
(1階4m、2階4m、かさ上げ2mで屋上なら大丈夫ととっさに判断)。

屋上へと続く階段。ここを登ればもう逃げ場はない。必ず生きてこの階段を降りるとの強い決意と覚悟で登った。

余震と厳しい寒さが襲う中、90人が一夜を過ごした屋根裏倉庫(写真:山元町震災遺構中浜小学校パンフレットより)

事前の備え

- 海の近くにあるため、津波の危険性は認識されており、住民の要望で敷地を2mかさ上げして建てられていた。また、夜間でも住民が避難できるよう外階段を設置したり、津波の衝撃を和らげる円柱を採用するなどの対策が施されていた。
- 2日前に起きた地震で教員間で避難手順の確認等の認識の共有ができていた。
- 1階の体育館に非常用毛布を保管していた。

真空パックで保管していたため浸水の被害を受けず、一晩中続く余震と寒さに震える子どもたちの体を温めた。

教訓

日頃から備えておくことが大切
「命は助かったが、子どもたちには過酷な経験をさせてしまった。あの判断が正しかったのかは今でもわからない。」と話されていたが、迅速に判断し、結果として全員の命を守れたのは事前の備えがあったからこそ。

津波は建物にぶつかると方向を変える
津波は海側からやって来るとは限らない。

海は東側にあるが北側に押し倒された時計台。校舎にぶつかった津波が向きを変えたことがわかる。

生徒の声
- 大阪は建物が密集しており、津波がどこから来るかわからないので気をつけようと思った。
- 想定外のことが起こってもいいように前もって準備しておくことが大切だと思った。
- 屋上への避難を決意した校長先生の覚悟に、絶対に生き延びるという強い想いと、全員の命を背負っているという強いプレッシャーを感じた。

体験学習2 松島復興語り部クルーズ

島々を巡りながら、語り部の方から自身の被災体験のお話を伺った。

後悔
「あの日の朝、私は些細なことで両親と喧嘩して仕事に出てしまった。一夜明け、避難先から自宅に戻ると辺りは死体だらけ。帰ったら謝ろうと思っていた両親も津波に飲み込まれていた。みんなには同じ後悔をしてほしくない。災害は突然やって来る。当たり前の明日がやって来ない人もいる。『ごめんなさい』や『ありがとう』を後回しにしないで、毎日を大切に生きてほしい。」

教訓

津波は繰り返し襲ってくる
一度避難したのに津波が引いた後に家族を探しに戻ったため、第2波、第3波に襲われて、多くの人が亡くなった。

備えがあれば亡くなる人は減る
災害時は携帯電話が使えないので、家族で避難場所を決めておく。避難場所まで何分かかるか、危険な箇所はないか、実際に確かめておく。

生徒の声
- 思いやりが逆に命を失ってしまうことにつながることも知り、「自分の命は自分で守る」という自助の考え方も必要だと感じた。
- 皆平等に明日がやって来る訳ではないと知れた。一日一日を大切に、希望を持って生きようと思った。
- 「ありがとう」や「ごめん」はいつ言えなくなるかわからないので、少し気恥ずかしくても目を見てきちんと言おうと思った。

行程2日目

体験学習3 石巻市震災遺構 門脇小学校

津波火災の痕跡を残す唯一の震災遺構であるこの小学校で、解説員の方からお話を伺った。
門脇小学校はあの日、大津波警報から約1時間後に1.8mの津波が到達した。そして、校庭に流されてきた炎に包まれた住宅などが校舎に引火し津波火災が起きた。火の手は最上階の3階まで達した。

校舎に残っていた教職員や避難してきた住民が、迫り来る津波と炎を避け、裏山に避難した場所。校舎2階から裏山へは教壇を橋代わりに渡して避難した。

津波で倒された金庫。幸い中に保管されていた卒業証書は無事で、1か月遅れの4月に卒業生に手渡すことができた。

教訓

日頃の備えの大切さ
当時、学校にいた児童224人は日頃の訓練どおり裏山に避難し、全員無事だった。

垂直避難の限界
津波火災では建物の上階に逃れる「垂直避難」は必ずしも通用しない。

生徒の声
- どちらの小学校でも「自然を前に人間は無力」と話されていた。その中でもできることをする!
- お話を聞いて、「自然と共に生きる」という意味がわかった。

門脇小学校見学中にカムチャツカ半島付近で発生した地震により宮城県にも津波警報が発令され、この日の以降のプログラムは中止しました。

生徒の声
- この体験学習中に津波警報が発令されたことが一番の学びだと思った。本当に命がかかっているということを改めて認識できた。
- 途中で津波警報が鳴り、今までにない体験をしてとても戸惑った。実際に危険な状況にならないと感じられないことがあると知り、当時の人々の気持ちがわかったような気がした。
- 津波警報が鳴り、自然一つで一気に状況が変わるのだと実感した。

行程3日目

体験学習4 南三陸311メモリアル

住民の証言映像を見て自分だったらどうするかを考えるラーニングプログラムや、様々な展示資料を通して、防災、減災について学んだ。

教訓

想像し、次の手を考え、判断する
万一避難場所が使えなくなってしまったら?あの日、予報の最大4倍の高さの津波が南三陸町を襲った。二次避難場所、二つ目の方法を考えておく。引き出しを増やすことが大切。

自分の命を守らなければ人の命は守れない
救助に向かった多くの消防士が命を落とした。責任感が命を危うくすることがある。助ける側も安全に配慮すべき。

防災訓練、救命訓練は必ず活かされる
他人事でもやったことがあれば自信になる。

生徒の声
- 周りに救助が必要な人がいても自分の命が一番だから冷静に物事を考えなければならないということを改めて知った。
- 防災、減災こそが災害から生き残るための唯一の術だということを改めて実感することができた。

体験学習5 南三陸町震災復興祈念公園、旧防災対策庁舎

公園内にある、津波が襲い骨組みだけになった旧防災対策庁舎。

1960年のチリ地震の教訓を踏まえて建てられたが屋上を超える想定外の巨大津波が襲い、災害対応にあたっていた職員や住民ら43人もの命が失われたこの庁舎前で献花を行い、哀悼の意を込めて黙とうを捧げた。

体験学習6 JRフルーツパーク仙台あらはま

津波の甚大な被害を受け、住民が集団移転した跡地を活用して荒浜地区にオープンした観光農園。復興の象徴としてにぎわいを創出しているこの農園で、施設の方の説明を受けた後、ブルーベリー狩りを体験した。

生徒の声
- 津波の被害を受けた場所がこんなにもフルーツが育てられることにびっくりした。
- こんな楽しい空間に津波があったとは思えないほど復興した場所だった。


帰阪式

無事に帰阪。参加生徒代表である野田中学校3年生の伊保さんが帰阪のあいさつをし、工藤区長から労いのあいさつを受けた。
お迎えに来ていただいた保護者の皆様、先生方ありがとうございました。
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