令和8年度中学生体験学習事業を実施しました
2026年10月19日
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被災地 岩手県を訪問してきました
福島区内の3中学校の生徒9名と引率者で、7月28日(火曜日)から30日(木曜日)まで、2泊3日の行程で東日本大震災の被災地である岩手県を訪問しました。
震災の被害や防災の心がけなどについて現地の方々から直接学ぶことができ、非常に貴重な経験をすることができました。
行程1日目
出発式

午前7時15分、福島区役所ロビーで出発式を行った。工藤区長のあいさつに引き続き、参加生徒の代表として八阪中学校3年生の陰山さんがあいさつを行った。「体験を通して学んてきたことをしっかりと持ち帰ってくる」という強い意気込みが伝わってきた。お見送りに来ていただいた保護者の皆様、先生方ありがとうございました。
体験学習1 久慈地下水族館 もぐらんぴあ(久慈市)
地下石油備蓄基地の作業用トンネルを活用した地下水族館。
平成23年(2011年)3月11日の津波で建物は全壊したが、平成28年(2016年)4月23日に同じ場所で再オープンした。
再オープンした施設の屋上で当時の話を伺った。

もぐらんぴあ
(久慈市ホームページより)
施設屋上で話を聞く。
久慈湾(写真奥)より津波が押し寄せた。
当時の状況とその後
- 地震発生時は開館中で、来館者とともに裏手の高台へ避難した。
- 旧施設(2階建て)は津波で全壊し、飼育していた魚の多くが失われた。
- 現施設(5階建て)は高さが14mあるが、過去に30m超の津波記録があるため避難場所とせず、館内のトンネルを通って裏手の高台へ避難することになっている。
建物の3階に防災展示室(あーすぴあ)があり、震災当時の津波の様子などが展示されている。
地下石油備蓄基地のトンネル内に様々な展示がされている
水族館(地下トンネル内)に防潮扉が設置されている。
防潮扉の先にある別のトンネルから、施設裏の高台に避難できるようになっている。
教訓
- 事前の備えと日頃の訓練(シミュレーション)が重要。
- 訓練していても本番では冷静に考えられないことがあるため、「いざという時の行動」を平時に決めておく。
生徒の声
- 話を聞いていた場所の倍以上の高さの津波がくると聞き、とても怖いと思った。
- 水族館の中に防潮扉があり、閉じ込められた時の避難経路があると聞いて災害が身近に感じられた。
体験学習2 塩づくり体験・大津波語り部(田野畑村)
予定していた「サッパ船」は強風のため運休となったため、代わりに三陸沿岸で行われてきた塩づくりを体験した。
その後、地震発生時に海岸付近で清掃活動をしていた語り部(当時高校生)から当時の話を伺った。
※プログラム中に令和8年熊本地震が発生したが、津波注意報などが発令されなかったため、最後までプログラムを実施した。
語り部(当時高校生)から震災当時にいた場所で当時の様子を伺う。
葛藤
震災当時は海岸で清掃活動をしていました。
「その活動の終了間際に地震が発生しました。地震の後は、一緒にいた大人の方と山越えの遊歩道を通って避難しました。 避難中、『急げ』『早く』と強く促されることはなく、私たちがパニッ クにならないよう配慮してくれていたのだと思います。 途中で崖が大きく崩れるのが見え、私たちは無我夢中で走って高台へ逃げました。しかし、体力的にも精神的にも限界に近く、高校へ戻るために高台を下りる決断をしました。
バスの乗り場まで下りたところ、海の水が引き、普段とはまったく違う光景が広がっていました。
その直後、大きな津波が来ましたが、バスが猛スピードで高いところに走ってくれたため助かりました。後から『あと1分遅かったら間に合わなかった』と聞かされました。結果的に助かったものの、極限状態で下した『高台を下りた判断』が正しかったのか、今でも考えることがあります。」
バスに乗るために高台から降りてきた道。
海を見ると、見たことがない光景が広がっていた。
教訓
- 津波の恐れがある時は、とにかく高いところへ逃げる。
- 保存の利く食料を備蓄しておく。支援物資が届くまで5日かかり、その間は「1日おにぎり1個」でしのいだ。備蓄の大切さを痛感した。
生徒の声
- 語り部さんが実際に逃げた道で説明を聞き、恐怖を感じた。自分たちの地域で起こった時どう行動すべきか考えた。
- お話の間に鳴ったアラートの音が怖くて頭が真っ白になった。現実に起きたら冷静に動けないと感じた。
避難のためにバスが通った道。
被災地の至る所にその場所の海抜と避難するべき方向、距離を示した標識が立てられている、
行程2日目
体験学習3 三陸鉄道 震災学習列車(宮古市)
悪天候のため列車は運休になったが、
乗車予定だった列車内でガイドの方からお話をうかがった。
三陸鉄道宮古駅
(三陸鉄道宮古駅構内)
乗車予定だった列車
当時の様子
- 津波で流れ込むのは水だけではない。瓦礫なども一緒に押し寄せる。
- 堤防があることで「逃げなくてもいい」と判断した人や防潮堤で海の様子が見えず逃げ遅れた人がいた。
- 20~30cmの津波でも動けなくなる。
- 運行中の列車の乗務員は、一部乗客の「逃げる必要はない」という反発がある中でも高台への避難を決断。車両は被災したが、乗客は全員無事だった。
- 三陸鉄道は5日後に運行を再開。車両の動力源が軽油だったので電力の復旧を待たずに再開できた。運行に使っていない車両は災害対策本部として活用していた。
列車内でガイドの方から説明を受ける中学生
教訓
- 防潮堤は逃げるための時間稼ぎで安心材料ではない。
- 小さな津波でも避難が困難になる。
→いのちを守るために、迷わず「とにかく逃げる!」
生徒の声
- 鉄道が5日後に復旧したと知り驚いた。列車を見た人を勇気づけるよう色を工夫したりしていると聞き感動した。
- 当時から使っている列車に乗り、流された時の写真を見せていただき、恐怖が強まった。
体験学習4 体験型防災学習プログラム(大船渡市)
旅先で地震(津波)に遭遇した想定で、スマートフォンを用いたオリエンテーションを行った。
東日本大震災で起こった出来事を基にした教訓や、難しい判断を迫られる選択肢がスマートフォン上に現れ、避難の難しさを体験的に学習しました。
施設内にあるQRコードをスマートフォンで読み込むと現れる選択肢を選びながら、限られた時間で高台にある避難場所をめざす。
実施後に説明を受ける。
避難行動中に様々な場面に遭遇するが、状況次第で「援助しない」判断が求められる場合があると伺う。
教訓
- 地震はいつ、どこで起こるか分からない。
- 事前に津波危険区域、避難場所、避難経路を確認しておくことが大切
- 避難中に、助けが必要な人に遭遇する可能性があるが、時間の猶予はない中で支援を優先すると、逃げ遅れにつながる可能性がある。
(大船渡市の例:地震発生から3分で津波警報発令、警報発令から27分後(地震発生30分後)に津波が到達した)
生徒の声
- 今回は自分の命を第一に考えて、助けを必要としている人を見捨てられたが、実際にそのような判断ができるか分からないと思った。
- 急に災害が来ると想像以上に身体が動かないこと、行動するべき選択肢が1つではないことを改めて知った。
- 避難できる時間は思ったより短く難しい。選択肢は1つではなく、避難場所に行く道が険しい場合もあるので、あらかじめ地域を知っておく必要があると思った。
体験学習5 東日本大震災津波伝承館(陸前高田市)
東日本大震災の津波や被災者の声を収めた映像、過去の地震・津波の歴史、被災した実物資料の展示を通じて、防災・減災について学びました。
東日本大震災津波伝承館(外観)
外壁には東日本大震災で犠牲になった方と同じ数の穴(写真右上)があいている。
過去の地震・津波の記録の展示を通して、津波は繰り返しやってきていることを学ぶ。
津波で流された気仙大橋の一部。
道路や駅の標識、信号機なども津波で潰された。
教訓
・震災当時、4割の人がすぐに逃げなかった。
・逃げない住民の説得、高齢者等の避難の介助、避難誘導にあたった消防団員の多くが逃げ遅れて犠牲になった。
→自分の命は自分で守る。すぐに避難すること。どうすれば消防団員の犠牲を防げたか考えてほしい。
津波で押し潰された消防車。
生徒の声
- 映像で津波の速さ、高さを見て衝撃を受けた。大阪でも備えは絶対に必要だと思った。
- 直近30日間に全世界で起きている地震が予想以上に多くて驚いた。
体験学習6 高田松原津波復興祈念公園(陸前高田市)
津波被害を受けた場所に整備された公園。
公園内には多くの震災遺構が保存されている。
ガイドの案内のもと、震災遺構を見学し、当時の状況を伺った。
旧道の駅高田松原(震災遺構)
海に向けて階段状になっており、イベント時などは観客席として活用されていた。
津波は約14.5メートル(建物左上壁面の印の高さ)に達したが、逃げ遅れた数名が最上部に避難して助かった。
旧道の駅高田松原(内部)
公園は地盤のかさ上げが行われるとともに防潮堤(地上高約12メートル)が整備された。
震災時の津波の高さ(約14メートル)より防潮堤が低い理由は、「津波を防ぐもの」ではなく「逃げるための時間稼ぎとして作られたため」と伺った。
旧気仙中学校(左奥)と奇跡の一本松(いずれも震災遺構)
津波は間にある気仙川を遡り、その高さは14.2mに達した。
教訓
(津波は想定を超えてくる)
・「旧道の駅高田松原」は過去の津波を参考に、津波に耐える設計をしていたが壁面が破壊された。
・旧気仙中学校では「学校の屋上に避難すればよいのでは」という意見もある中、防災教育で学んだ「どんな津波がくるか分からない」を優先し、屋上ではなく高台への避難を決断した。
→津波は中学校の屋上を超える高さだったが、高台に避難していたため全員無事だった。
(とにかく逃げる)
・津波が来たら、より高い場所へすぐ避難。
・警報が出ている間は逃げ続ける。
→第1波後、高台にいた人が自宅に戻り、津波に巻き込まれた例があった。
生徒の声
- 気仙中学校では「避難訓練で慣れていたので全員助かった可能性が高い」と聞いて、これからの避難訓練は今まで以上に意識を高めていきたい。
- 想定の何倍も高い津波が来て、多くの人が犠牲になったと聞き、「これだけ準備すれば大丈夫」と思い込まず、自分にできる備えはやり尽くそうと思った。
- 「昔の大地震を忘れている人もいる」という話を聞き、東日本大震災も忘れてはダメだと思い、この経験を伝承してきたいと思った。
行程3日目
体験学習7 うのすまい・トモス(釜石市)
釜石市では犠牲者(1,000人超)の約6割がこの施設がある鵜住居(うのすまい)地区で発生しました。震災当時に中学生だった語り部の方から「釜石の奇跡」といわれた避難の当事者の立場でお話を伺いました。あわせて被災資料の展示を通じ、早期避難と日頃の防災意識を持つことの重要性を学び、慰霊碑の前で献花を行い哀悼の意を込めて黙とうをささげた。
釜石祈りのパークで献花し黙とうを捧げた。
写真上部のモニュメントに鵜住居(うのすまい)地区に押し寄せた津波の高さ(11メートル)が示されている。
語り部(当時中学生)から当時の様子や日頃の備えの大切さについて伺いました。
被災を物語る品々の展示。
左の「津波避難場所」の標柱は津波避難場所(神社)の境内入口にあったもの。
想定を超える津波が押し寄せたことがうかがえる。
教訓
・日頃の備えが大切
→震災の数年前からいろいろなケースを想定して震災教育が行われていた。
・訓練は「いつもしているからするもの」ではない
→興味と関心をもって取り組むことが大切。地震発生後も5分以内に、教員の指示がなくても生徒主体で普段の訓練どおり整列・点呼がとれた
・訓練の想定に縛られない
→最初は訓練どおりの避難場所にいたが、地域の高齢者の「ここにいては危ない」という声を受け、より高いところへの避難を決めた。
(その後、最初の避難場所には津波が到達)
→訓練の想定に縛られず、その時取れる最善の行動をとること
生徒の声
・避難訓練の大切さや災害時に起こり得ること、もし先生がいなかった場合等、考えさせられる部分が多くあった。
・地震・津波経験が少ないため「慣れ」がない私たちには、訓練回数を増やすことも大切ですが、いろいろな災害を想定し、様々なパターンの訓練を経験して備えることが大切だとわかりました。
・避難訓練の内容を聞くと、役割分担をしたり様々な想定での訓練など、「私たちの学校でしていないことをしていたから助かったのかな」と思った。「このままでは私たちの中学校は危ない」と深く考えさせられました。体験学習8 ワタミオーガニックランド(陸前高田市)
津波で甚大な被害を受けた陸前高田市の旧市街地にオープンした体験型農業テーマパーク。施設の方の説明後、農産物被害を防ぐために捕獲した鹿の革を使ったキーホルダー作りを体験した。
生徒の声
・津波の海水の影響が大きいところで、最低限の土と肥料で行えるポット栽培で環境に配慮したぶどう作りをしているのがすごいと思った。
・再び津波が来た時のことを考えて、ビニールハウスの骨組みに木材を使うなど、SDGsの取り組みをしていると思った帰阪式
無事に帰阪。参加生徒代表である野田中学校3年生の澤田さんが帰阪のあいさつをし、工藤区長から労いのあいさつを受けた。
お迎えに来ていただいた保護者の皆様、先生方ありがとうございました。
中学生体験学習事業報告リーフレット
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