深江の菅笠(ふかえのすげがさ)
2024年4月12日
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昔、深江は良質の菅草が豊かに自生する浪速の一島でしたが、第11代垂仁天皇の御代に、大和国笠縫邑(やまとのくにかさぬいむら)より、笠を縫うことを仕事とした一族が移住し、代々菅笠を作ったことから、笠縫島といわれるようになりました。以後、歴代天皇御即位、大嘗祭(だいじょうさい)の時をはじめ、20年に一度の伊勢神宮式年遷宮に使用する菅笠はすべて深江で作り献納してきました。江戸時代には大阪玉造の二軒茶屋を起点として、伊勢音頭をうたいながら、集団で参宮したものですが、人々は道中安全を願って、(菅には浄めるはたらきがあると信じられていました)深江で菅笠を買い求め賑やかに旅をしました。
江戸時代の末期からは菅の釜敷きや、瓶敷き、皿敷き(今のコースターのようなもの)などの菅細工も作られ、皿敷きは明治や大正の頃には、イギリスやアメリカにも輸出されました。菅笠作りの技術は、深江南3丁目の幸田正子さんを中心に今日まで大切に受け継がれています。
深江菅笠
「深江の菅笠」の碑
深江南2丁目20番先には、「暗越奈良街道」の道標と並んで「深江の菅笠」の碑が設置されています。お伊勢参りの旅人が菅笠を買う姿が摂津名所図会(深江の賑わい)として描かれています。
「深江の菅笠」
「大阪はなれてはや玉造、笠を買うなら深江が名所、ヤットコセー、ヨーイナヤー」
伊勢音頭に歌われ、広く世に知られた名産深江の菅笠は、近世、伊勢参りが盛んになり、この道路が賑わいをみせて以来、参宮の旅人が皆ここで菅笠を道中用に買い求め、必ず携帯する習慣となりました。
そのむかし、笠縫氏という一族が、大和笠縫邑から集団移住したと伝えられ、古歌にうたわれている笠縫島は、この深江付近と伝えられています。
「押し照るや 難波菅笠置きふるし 後(のち)は誰(た)か着ん 笠ならなくに」
「四極山(しはすやま) うち越しみれば笠縫の 島こぎかくる 棚なし小舟(おぶね)」
と万葉集にもよまれています。
菅笠は、歴代天皇のご即位式や伊勢神宮の二十年に一度の式年遷宮(しきねんせんぐう)に献納されるのを例とし、直径2mにもおよぶ大菅笠が調製され、その技術を地元の方々により保存伝承され今日に至っています。
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