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芸人の町・片江

2024年4月12日

ページ番号:344274

芸人の町・片江

 昭和のはじめには、東成区は上方落語や漫才などの大衆演芸と縁が深く、片江地域を中心に多くの芸人さんが住まい、活動の拠点にもなっていました。そうした事実は、現代の芸人さんはもちろんのこと、区民の皆さんにも次第に忘れ去られようとする中、平成22年6月に市民グループ「東成芸能懇話会(ひがなりげいのうこんわかい)」により、片江地域(大今里南3丁目11番)に「芸人の町・片江」の顕彰板が設置されました。

 当時、片江地域に居をおいていた、5代目笑福亭松鶴は自宅を「楽語荘」と名付け、同人を募り、上方落語の保存と新人落語家の育成に尽力したことは、現在の上方落語の隆盛の礎になっていると考える落語ファンも多いそうです。

芸人の町・片江顕彰板
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「芸人の町・片江」顕彰板


芸人の町・片江


 2代目笑福亭枝鶴(落語家。後の5代目松鶴。本名竹内梅之助。明治17年~昭和25年)は、昭和7年、西区京町堀より東成区片江町1丁目418番地に転居した。同じ頃、花月亭九里丸(漫談家)が片江町1丁目425番地に、続いて横山エンタツ(漫才師)、都家文雄(漫才師)も近隣に転居し片江町に芸人の町が形成された。昭和9年、枝鶴、九里丸、文雄、エンタツ、花菱アチャコが講師となり九里丸宅で「漫談明朗塾」が開講され、後の西条凡児も塾生になった。

 2代目枝鶴は、昭和10年、5代目松鶴を襲名。昭和11年、自宅を「楽語荘」と名付けて同人と募り、『上方はなし』を発刊、昭和12年、大阪・京都で「上方はなしを聴く会」を開始するなど上方落語の継承、後進の指導に尽力した。こうした活動は、東成の地を題材とした昭和14年当時の新作落語、「代書」(2代目桂米之助、後の4代目桂米團治の作)、「豆炭」(桂花柳、後の3代目笑福亭枝鶴の作)の創作も促した。

 片江町および周辺地域では、このように昭和初期より昭和30年代にかけて、「楽語荘」を中心として多くの芸人が住み、お互いに芸を切磋琢磨する芸人の町が形成され、6代目笑福亭松鶴、5代目桂文枝、2代目笑福亭松之助、3代目桂米朝、3代目桂米之助といった人々の芸を育んだ。

 設置 「芸人の町・片江」顕彰委員会

 協力 片江社会福祉協議会 片江連合町会

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