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東成区のキャラクター

2025年8月27日

ページ番号:660268

うりちゃん

うりちゃん画像

東成の伝統野菜「玉造黒門越瓜」をデザインされたものです。

玉造黒門越瓜

 豊臣時代、大坂城玉造門のあったところを黒門町(門が黒塗りであった)といい、近くを流れていた猫間川に架かっていた橋が黒門橋と言われていました。この黒門橋付近が黒門越瓜の発祥地と考えられています。天保7(1836)年の「名物名産略記」にも記載があり、当時の今里・片江・深江辺りでも栽培されていました。

 粕漬けにしておいしかったことから名産になりました。

かさずきん

かさずきん画像

東成の深江で有名な菅笠をかぶり、区の花のパンジーを持っています。

深江稲荷神社と菅笠

 「大阪はなれて早玉造、笠を買うなら深江が名所」と伊勢音頭の一節にあるように、深江は菅笠の産地として有名でした。

 本居宣長の玉勝間の中に「笠縫島は今摂津國東生郡(現東成区)の深江村といえる所なるべし・・・」と書かれています。

 古代垂仁天皇のころ、笠を縫うことを職業とした笠縫氏の一族が、大和の笠縫邑から良質の菅の生い茂った深江の地に集団移住して、代々菅笠をつくったことから笠縫島の地名がうまれた。その歴史は2千年程になります。

 古くは全戸が笠造りに従事し、明治の初めには外国にも輸出され、また歴代天皇の御即位式や、伊勢神宮の式年遷宮(20年に一度)に用いられる儀式用の大きな菅笠は、代々この地から調達されていました。江戸時代中頃からは、伊勢参りが盛んとなり一般道中用の菅笠が世に知られるようになりました。

 深江稲荷神社の別名、鋳物御祖神社とある。11月28日夜、火焚祭があり深江や東大阪の布施などが鋳物工業の発達した地帯であることを示しているようです。

 現在、深江稲荷神社内が「笠縫邑跡」として大阪府史跡に指定されています。また大阪市の顕彰碑「深江菅笠ゆかりの地」が建てられています。

 現在も菅細工の保存活動を続けている「深江菅細工保存会」が、平成11年から始まった“大阪市指定文化財”の最初に指定を受けています。

ルカちゃん

ルカちゃん画像

東成ゆかりの鶴の橋、亀の橋にちなみ、鶴と亀を組み合わせています。
名前の由来は「つるかめ」の中央の文字をとり「るか」ちゃんと読んでいます。

平野川(百済川)と猫間川(高麗川)

 古代から中世の間、百済郡が置かれその中央を蛇行し流れていたのが古名「百済川」「高麗川」で渡来文化の窓口の舞台として発展して来ました。

 近世の平野川は、河内の柏原と大坂の八軒家間の輸送水路として柏原舟の往来が盛んで、玉津橋は玉造の津(港)として繁栄を極めました。

 大正12年からの改修で、蛇行していた平野川は無くなり、少し東側に今の平野川が付け替えられています。旧平野川に架かっていた「亀の橋」の碑を残すのみです。

 猫間川は、今は埋めたてられ道路になっています。高麗川がなまって“ねこまがわ”に変わったと伝えられています。

区のキャラクター使用について

区のキャラクター使用については、大阪市コミュニティ協会東成区支部協議会までお願いします。


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