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037 権助狐と今川墓地

2023年11月20日

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 今川公園の北側にある今川墓地は、元 今在家村の住民の墓地です。
 現在は、住宅街の真ん中にこのような墓地がある形になっていますが、昔は北東1kmにある今在家村と、細い1本の農道によって結ばれていた農地ばかりの寂しい場所でありました。
 南海平野線が大正3年(1914年)4月に、大阪鉄道(現在の近鉄南大阪線)が大正12年(1923年)4月に開通して、墓地より西(今川の西)側の農地に住宅建設が盛んとなり、戦後は鳴戸川の東側にも住宅が密集して、現在のような墓地になっています。
 昭和初期ではまだ、鳴戸川の東側には住宅がなく、夏休みには、子ども達の「肝試しの場」でした。
権助狐のお話は、電鉄開通以前の明治中頃までの昔話です。
 今在家村の竹松と言う男が、ホロ酔い気分で通りかかった今川墓地で、若者達が相撲をとっていました。 腕自慢の竹松がこれを片っ端から投げ飛ばして、翌日に現地に行くと、沢山のお地蔵様が倒されていたというお話です。

権助狐(ごんすけきつね)の話を聴く子どもたち

人が、狐や狸に化かされて、「石の地蔵と相撲を取る話」や、「道に迷い、とんでもない所を歩いていた話」などが当時語りつがれてきました。  

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