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065 中野村の環濠(かんごう)

2022年2月14日

ページ番号:33881

江戸中期の平野七名家の一つ・土橋家に残された文書によれば、現在の今川は狭山西除今川(略して今川)と呼ばれ、旧西除川は狭山西除天道川(略して天道川)と呼ばれていたことがわかります。
また、旧中野村は今川と天道川の間に挟まれており、天道川から取り込んだ水路によって、環濠聚落となっていました。 また、その図から現在の道路が環濠の跡であることも読みとれます。
環濠がωのような形になっている中央部北側のへこみが、現在の針中野の北側道路であり、東側は中井神社東側と林覚寺東側の石垣と判明します。 また西側は現在の「針中野わくわく公園」の用地が天道川の川跡であることも推察できます。
南側は中野鍼灸院(58 中野のはり 参照)の辺りと思われますので、環濠に収まる旧中野村は大変小さい聚落であったことがわかります。 


なお、「針中野わくわく公園」前道の東側が中井神社の氏子領域で、西側が山阪神社の領域ですので、天道川が神社の氏子を分けていたことになり、針中野周辺の天道川の河川跡が神社氏子の境界線を辿ることによって確定することができます。

 

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