日本画家・野田 九浦(のだ きゅうほ)
2009年3月16日
ページ番号:869
明治12年-昭和46年 (1879-1971)
東京府下谷区(現:東京都台東区)に生まれる。明治29年(1896)東京美術学校日本画科に入学するが、明治31年(1898)に退学し、白馬会研究所で黒田清輝に洋画を学ぶ。また渡欧をめざしフランス語を習い、正岡子規に俳句を学んだ。明治40年(1907)、夏目漱石の「坑夫」などの挿絵を描くために大阪朝日新聞社(北区中之島3丁目)へ入社し、鶴の茶屋の敷地内(現:北区茶屋町)に住んでいた。大正元年(1912)、北野恒富(きたの つねとみ)と大正美術会を結成、大阪画壇の隆盛に尽くした。昭和46年(1971)、東京都武蔵野市で死去。

天草四郎
(大阪市立近代美術館建設準備室所蔵)
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