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日本画家・木谷 千種(きたに ちぐさ)

2009年3月16日

ページ番号:878

 明治28年-昭和22年 (1895-1947)

 北区堂島浜通2丁目(現:北区堂島浜2丁目)の唐物雑貨商吉岡家に生まれる。本名吉岡英子。明治40年(1907)、12歳で洋画を学ぶためアメリカのシアトルに留学。明治42年(1909)帰国するが、同年7月の「天満焼け」で堂島の家が全焼する。大阪府立清水谷高等女学校卒業後上京し、池田蕉園(いけだ しょうえん)に師事。大正4年(1915)帰阪して野田九浦と北野恒富に師事し、同年の文展に吉岡千種の名で「針供養」が初入選。大正9年 (1920)近松研究家の木谷蓬吟(きたに ほうぎん)と結婚、八千草会を主催し女性画家を育てる。昭和22年(1947)死去。

 

浄瑠璃船

浄瑠璃船
(大阪市立近代美術館建設準備室所蔵)

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