此花区が「巻き寿司の丸かぶり」の発祥の地といわれています
2018年1月25日
ページ番号:202830
今や節分の定番である「巻き寿司の丸かぶり」。
実は此花区の伝法(当時の申村=さるむら)が「発祥の地」と言われています。
そこで、此花区役所では此花区郷土史研究会、此花飲食業協同組合と協力して、地域経済の活性化に貢献できればと、毎年、チラシ及びポスターを制作しています。なお、今年度についても、前回に引き続き、地元咲くやこの花高等学校の生徒がデザインしたチラシ・ポスターとなっています。
今後は此花区を盛り上げていくため、「此花区が『巻き寿司の丸かぶり』発祥の地」という伝説を情報発信していきます。
「巻き寿司の丸かぶり」に関する動画を作成しました(平成25年1月撮影)
ご覧になるには、下の画像をクリックしてください
丸かぶり発祥伝説
昔の節分の日、今は伝法地域となっている当時の申村(さるむら)では、「世念講(よねんこ)」といわれる講があり、そこでは村の若者や船頭衆や川人夫が集まって、夜通し雑談や将棋・囲碁・花札、墓場への肝試しなどを楽しんでいました。
このとき「巻き寿司」を食べることが当時の習慣でしたが、人数が多いので、巻き寿司を切り分けていては間に合わず「腹がすいた。切らずにそのままおくれ」の声が高まり、丸かぶりするようになったのが発祥と言われています。
なお、申(さる)村の名残は、今も庚申堂【こうしんどう】(現在の伝法5丁目8)にあります。
郷土史研究資料『伝法のかたりべ』
此花区郷土史研究資料『伝法のかたりべ(五)-旧・申村を含む-』(勝安男著)6頁の中に以下のような記述があります。
「(省略)昼食夜食は巻寿司を食べることが習わしとなっていました。(省略)鮨を巻くだけでも目の回るような忙しさです。切る暇などはありません。(省略)『姉さん、切らんとそのままおくれんか。腹が減ってグーグー言うとるわ。上品な食べ方せんでも、みんな顔見知りのもんばっかりや。』(省略)そこで、鮨の丸噛りとなるのでありますが、宿の女房が『あんたら、ちょっと待った』と一声、『鮨を噛るとき、家の神棚に、今年も元気でいられるようにと、拝んでから噛るのんやでぇ。』(以下、省略)」
恵方巻きとは
節分にその年の恵方に向かって目を閉じて、一言もしゃべらず願い事を思い浮かべながら「巻き寿司」を丸かぶりするのが習わしとされています。なお、「恵方巻き」の起源については諸説あると言われています。
令和4年恵方
北北西
【参考】「恵方巻き」と「巻き寿司の丸かぶり」
- 此花区伝法(当時の申村)における伝説には、現在のように「(その年の)恵方」という概念は出てきません。 申村の風習(習わし)として言われているのは、「拝んでから」(感謝して)食べるというものです。
明治30年から43年にかけて淀川改修工事が行われましたが、それ以前には「北伝法村」「南伝法村」「申村」がありました。
申村では淀川改修で約9割が水没しましたが、昔から「世念講(よねんこ)」といわれる集まりがあり、そこで「巻き寿司の丸かぶり」をしていた風習(習わし)があったと言われています。
正確な年代は不明ですが、申村での「巻き寿司の丸かぶり」は、水運で栄えていた1800年代の江戸時代にはあったのではないかと言われています。
つまり、此花区は「恵方巻き」の発祥ではありませんが、「巻き寿司の丸かぶり」の発祥と言える伝説があります。
「節分巻きずしの丸かぶり」の発祥に関する年表 (此花区郷土史研究会より)
Adobe Acrobat Reader DCのダウンロード(無償)
- PDFファイルを閲覧できない場合には、Adobe 社のサイトから Adobe Acrobat Reader DC をダウンロード(無償)してください。
探している情報が見つからない

このページの作成者・問合せ先
大阪市此花区役所 まちづくり推進課総合企画グループ
〒554-8501大阪市此花区春日出北1丁目8番4号(此花区役所3階)
電話:06-6466-9683
ファックス:06-6462-0942