沿革
2024年3月13日
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北消防署の沿革
1909年(明治42年)「北の大火」が発生し、市街地防火の世論が高まる
1910年(明治43年)世論の高まりを受け、大阪府北消防署を曽根崎警察署内に開庁
本署及び11屯所、88名で大淀区、北区、東淀川区、城東区、旭区、都島区の6区と福島区の一部を管轄
1912年(明治45年)新庁舎竣工(木造2階建て)
1926年(大正15年)庁舎改築(鉄筋3階建て)
1929年(昭和4年)旭区及び城東区の管轄を移管
1944年(昭和19年)東淀川区の管轄を移管
1946年(昭和21年)都島区の管轄を移管
1948年(昭和23年)消防組織法が施行され、自治体消防が発足し、警察から分離され大阪市に移管。
1963年(昭和38年)北区茶屋町19番に現庁舎を新築移転
2009年(平成21年)開庁100年を迎える
北の大火とは
1909年(明治42年)7月31日未明、当時の北区空心町(現在の東天満付近)でメリヤス業を営んでいた業者宅から出火し、翌日に至るまで燃え続けた火災です。
当初、近くの小学校を焼いたのち、強い東風に煽られて火勢を強め、当時の北区役所、北警察署、大阪控訴院、大阪地裁も火炎に包まれました。
最終的には、火炎は現在の堂島・出入橋一体も焼き払い、福島区まで燃え広がり、37万坪10000戸以上を焼損する猛火となりました。
この火災を契機として、市街地防火の強化をさけぶ世論が高まり、翌明治43年に東西南北の4消防署が大阪府警察の内部に開設されました。
その一つである、北消防署は開設以来100年以上にわたり、大阪の中心地・キタの安全安心を守りつづけています。
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