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出張所の紹介

2024年3月13日

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出張所の紹介

梅田出張所

明治43年、北区曽根崎上4丁目26番地(当時)に北消防署の本署が開設されましたが、その後の著しい時代の進展と都市整備のため、移転を余議なくされました。

しかしながら、当該地域は、高層建物や地下街などが多数存在する複雑な都市形態をしており、移転により消防力が低下することは望ましくないことから、当時建設が予定されていた大阪駅前第一ビル内に出張所を開設することとなりました。

その後、昭和45年5月1日より梅田出張所として事務を開始し、現在に至ります。

昭和50年頃の様子
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昭和50年頃頃の梅田出張所

現在の梅田出張所
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現在の梅田出張所
北消防署管内は2隊の救助隊で配置運用していますが、そのうちの1隊である梅田救助隊が配置されています。

浮田出張所

浮田出張所は、大正13年12月、北消防署第5出張所として北区浮田町56番地(当時)に開設されました。

その後、大戦や自治体消防への移管などの歴史を経つつ、昭和45年には、大淀区国分寺町5番地先(現:天神橋筋6丁目)で発生したガス爆発火災に最先着小隊として臨み、激しく噴き上げ燃え盛る火炎のなか、消火および救助活動にあたるなど、地域のまもりとして大任を果たしてきました。

昭和49年6月に新築移転し、現在に至ります。

 


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昭和50年頃の浮田出張所

現在の浮田出張所
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現在の浮田出張所
管内の情勢を踏まえ、救急隊が配置されました。

南森町出張所

明治25年8月、当時の北区若松町堂島川河岸上に、南森町出張所の前身となる若松出張所が新築開庁しました。

しかし、「北の大火」により焼失し、明治43年4月20日に再建後、昭和18年に当時の北区樋上町46番地に移転し、地域のまもりの任を果たしてきました。

しかし、近代化する消防業務に対し、庁舎規模が過小となり、経年による老朽化も相まって、昭和41年現在の地に移るに合わせ、若松出張所の名を改め、南森町出張所となりました。

令和5年3月新築庁舎となりました。


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昭和50年頃の南森町出張所

現在の南森町出張所
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現在の南森町出張所
救急車1台を増台し、消防車1台、救急車2台で運用しています。

与力出張所

明治28年10月、当時の北区河内町に、与力出張所の前身となる空心町出張所が開設され、民間組織として運営を開始しました。

その後、明治42年の「北の大火」が契機となって、公設の大阪府北消防署の管轄組織となりました。

大正13年に、当時の北区天神橋筋4丁目に移転し、源發洲出張所として再編され、一時閉鎖などの歴史を経て、昭和37年に現在の地に至り、与力出張所としての事務を開始しました。

平成15年には、新築庁舎が竣工しました。


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昭和50年頃の与力出張所

現在の与力出張所
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現在の与力出張所
庁舎には、消防局章を標示し、近代的なデザインに生まれ変わり、居住性能も向上しました。

大淀町出張所

昭和19年6月に、当時の大淀区浪速町に戦時下における特設消防署として大淀消防署が開設されましたが、戦災により大淀区の80パーセント以上が焼失し、翌20年には閉鎖となりました。

戦後、工場地帯を中心に復興を遂げるなかで、人口4万5000人を数えるに至り、消防施設の設置が急務となり、大仁出張所として開所された。

しかし、その後国道大阪・福知山線副道建設により、移転を余儀なくされ、現在の地に至り、大淀町出張所と改称しました。


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昭和50年頃の大淀町出張所

現在の大淀町出張所
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現在の大淀町出張所
救急出場の要請が増え、高規格救急車が配置されました。

本庄出張所

大正14年、当時の東淀川区本庄町の地に、北消防署の第9出張所として開設されました。

昭和5年には、本庄出張所と改称し、大淀区制の制定や大淀消防署の設置・廃止により移管を重ね、昭和39年、現在の地に至りました。


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昭和50年頃の本庄出張所

現在の本庄出張所
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現在の本庄出張所
消防車の近代化が進み、1台あたりの性能が大幅に向上しました。

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電話:06-6372-0119

ファックス:06-6372-4885

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