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綱引神事

2019年1月9日

ページ番号:8885

綱引神事

つなひきしんじ

分野/部門

無形民俗文化財

保持者

難波八阪神社綱引神事保存会

所在地

大阪市浪速区元町2 難波八阪神社内

紹介

綱引神事 写真

 綱引神事は年頭恒例の神事として行われてきた。現在は1月の第3日曜日に神事を行っている。祭り当日の朝から神事参加者が縄を綯り合わせ八頭八尾の「八岐大蛇」形の綱をつくり、境内でその年の恵方に引き合う。その後、綱を担ぎ、神社の周囲を巡行する。

 この神事の起源は明確ではないが、享保4年(1719)初演の「平家女護島」(近松門左衛門作)にこの神事が登場することから、すでに当時の人々にとって広く知られた大阪を代表する行事のひとつだったことがわかる。『摂津名所図会』(1796)には絵入りで紹介されている。全国各地に「綱引き」は分布しているが、江戸時代の絵画資料があるのはきわめて少いと思われる。江戸時代中期には『摂津名所図会』に描かれるとおり、文字通りの「綱引」で「産子の人々左右に分列して大綱を争い引きて、其勝方其年福を得るといふ。」という年占の綱引であった。

 その後、「八岐大蛇」に変化していく過程もある程度跡づけることもできる。『摂津名所図会大成』(1854~60)に「八束穂」という記述が現れることから、幕末から明治時代にかけて綱が「八岐大蛇」に変化していったものと思われる。昭和6年(1931)の報告(南木芳太郎「大阪に残れる正月の民俗行事」『上方』1号)では「御神体が素盞鳴尊である處から、出雲の簸の川で八頭の大蛇を退治給ひし古事に傚ひ、八頭八尾の大蛇に形とって作ったものであるといふ。」とあり、綱はすっかり「八岐大蛇」になっている。

 明治時代の前半に一時途絶えたこともあったが、明治30年(1897)に再興され、現在まで続いている。年占の綱引が、「八岐大蛇」になり、綱の巡行範囲も変化しているとはいえ、江戸時代中期から確認できる綱引神事が、大都市大阪の中心部にある神社の神事として今日まで存続していることは驚きである。

参考文献

伊藤純「難波八阪神社綱引神事(1)―関連史料と先行研究―」(『大阪の歴史と文化財』7 2001年)
野本寛一「難波八阪神社綱引神事(2)―現在の神事と周辺のことなど―」(『大阪の歴史と文化財』8 2001年)

 

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