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慶沢園

2019年1月9日

ページ番号:8995

慶沢園

けいたくえん

分野/部門

記念物/名勝

所有者

大阪市

所在地

大阪市天王寺区茶臼山町1 天王寺公園内

紹介

慶沢園の写真

 純日本風の庭園として知られる慶沢園は、住友家がこの地に移った際、約10年をかけて本邸(茶臼山邸)とともに造営した庭である。当時の住友家15代吉左衛門(号は春翠)は明治28年(1895)からこの地の用地買収を始め、同41年に着工した。大正4年(1914)にはまず本邸を鰻谷から移転したが、その間、春翠は庭園を「恵沢園」と命名し、大正7年の完工時に「慶沢園」と改めている。

 この庭園の設計・施工を担当したのは当時の高名な庭師であった「植治」こと小川治兵衛である。治兵衛は山県有朋の無鄰庵を手掛けて以来、京都を中心に活躍し、日本の近代造園に大きな足跡を残した造園家で、彼の手になる庭園は国や京都市の名勝などに多く指定されている。 慶沢園は、大名庭園をモデルとした林泉式回遊庭園である。中島を浮かべた大池を中心に、三方に築山を築き変化に富んだ地形をつくり出している。周辺には園路や飛石、橋をめぐらせ、茶室や四阿(あずまや)が配されている。

 大正14年(1925)、住友家は神戸住吉に本邸を移し、翌、昭和元年に敷地12,940坪を大阪市へ寄贈した。昭和9年(1934)には一般公開され、同11年に敷地西半の住友邸宅跡に市立美術館が完成したが、敷地東半の慶沢園は戦後の昭和33~35年ごろに本格的な整備が実施され、今日に至っている。

 敷地の東端部が削られたり、邸宅部が美術館に建て替えられた際、庭園の周辺部は改造を受けているが、池をはじめとした中心部は、竣工時の状態をよく保っている。

用語解説

住友家(すみともけ) 江戸時代からの大坂の豪商。初代は京都で書籍・薬種商を営んだが、2代目から銅精錬業・銅商を営み、大坂へ進出した。近代に至り、財閥に成長した
小川治兵衛(おがわじへえ) 明治中期から昭和初期にかけて活躍した造園家で、近代造園のスタイルを確立した。京都の西園寺公望邸・倉敷の大原孫三郎邸などのほか、平安神宮や円山公園といった大規模な公共造園を手掛けた

 

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