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長原式土器標識資料 一括(218点)

2019年1月9日

ページ番号:9082

長原式土器標識資料

ながはらしきどきひょうしきしりょう

分野/部門

有形文化財/考古資料

所有者

大阪市

出土地

大阪市平野区長吉川辺3

紹介

長原式土器標識資料 土器 写真

 長原式(ながはらしき)土器は縄文土器のなかで最終型式の土器である。「長原式」の認識は、昭和52~53年(1977~78)の長原遺跡の発掘調査において出土した良好な一括資料を対象に家根祥多(やねよしまさ)氏が行った観察と研究による。家根氏はこれらの土器を分析し、それまで縄文土器の最終型式とされていた「船橋式(ふなはし)」との比較を行い、縄文時代晩期最終末の土器型式として「長原式」を設定した。考古資料において、標識となる遺跡名をとって型式名を付けることはしばしば行われるが、「長原式」土器は大阪市内の遺跡名が付けられた唯一の例である。
 長原式土器の器種は深鉢・浅鉢・壺によって構成される。その特徴は次のとおりである。
 深鉢は肩部の屈曲が弱く、頸部が内傾、または直立する。底部はほとんどが平底である。口縁部と肩部とに1条ずつ突帯(とったい)を貼付けるものを主体とし、口縁部にのみ突帯のあるもの、または突帯の無いものも見られる。口縁部の突帯は上端に接して貼付けられるが、これは口縁部の撫(なで)調整と突帯の貼付けとを同時に行うためと解される。突帯上の刻み目は軽く浅いもので、間隔は不規則である。頸部は撫で調整し、体部は削り調整を行う。
 浅鉢には口頸部がくの字状に屈曲するものや屈曲のない椀状のものがある。
 壺は体部上半から内傾し、口縁部に向かってすぼまる。小形の壺には突帯のないものもある。これらの調整技法は深鉢と同様で、口縁部の突帯の位置も端部に接して貼付けられている。
 先行する船橋式土器と長原式土器との違いは、深鉢では頸部の外反や肩部の屈曲が弱くなること、壺では頸部が直立したものから内傾してすぼまる形状になることがある。どちらの場合も口縁部の突帯が端部からやや下った位置から端部に接する位置に変化している。
 長原式土器は上記のように土器の製作技法の流れからは縄文時代晩期最終末の型式に位置付けられるが、稲籾の圧痕をもつ土器片があることや、弥生時代前期前葉の土器との共伴例がその後の調査で確認されていることから、水稲耕作をともなう弥生文化がすでに畿内まで伝播していた時期につくられた土器であることがわかる。
 その後の調査・研究、遺跡ごとの長原式土器と弥生土器の比率を比較することによって、弥生文化(水稲農耕)の浸透時期は一律ではなく、村ごとに時間的差異のあることも提唱されている。
 「長原式」を抽出しえたことは、縄文社会から弥生社会への移行過程を分析するための重要な指標をもたらしたという点で研究史上の意義は大きい。

参考文献

家根 祥多「近畿地方の土器」『縄文文化の研究』4 縄文土器2(雄山閣出版 1981)
『長原遺跡発掘調査報告』2(大阪市文化財協会 1982)
『長原遺跡発掘調査報告』3(大阪市文化財協会 1983)
『突帯文と遠賀川』(土器持寄会論文集刊行会 2000)

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