妙法寺と契沖遺跡(みょうほうじとけいちゅういせき)
2024年4月12日
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■ 妙法寺
聖徳太子の創建と伝えられ、近世国学の祖と言われる契沖(けいちゅう)が、延宝7年(1679年)から元禄3年(1690年)まで住職をし、また修学の道場としても有名で、現在大阪府顕彰史跡に指定されています。
場所:東成区大今里4丁目16-50
■ 契沖遺跡
昭和24年(1949年)に妙法寺境内は、僧契沖遺跡として大阪府顕彰史跡に指定されています。近世国学の祖といわれる契沖は、延宝7年(1679年)から元禄3年(1690年)までの11年間、この妙法寺住職をし、国学の勉強に尽力した。契沖の父は尼カ崎領主青山大蔵小輔幸真に250石で仕えた下川善兵衛元金でその第三子として寛永17年(1640年)に尼ヶ崎に生まれ、11才のときに出家して仏門に入り、その後高野山で修業にはげみ、妙法寺住職となってから本格的に国学研究の学問に専念し、徳川光圀公の委嘱により、有名な「万葉代匠記」やその他多くの著作を完成させました。
元禄3年(1690年)に慈母が当寺で死去されたのを機に、現天王寺区飼差町の円殊庵(えんじゅあん)に移り、元禄14年(1701年)62才の生涯を終えました。宝歴(1751年)頃の妙法寺は一時衰退していましたが、泊中法典和尚が住職し大黒天信仰を鼓吹してより時運隆盛になり「南にては今宮のゑびす、東にては今里の大黒」と喧伝され、庶民の群参で賑わったと伝えられています。
現在妙法寺境内には契沖の供養塔と慈母の墓があります。
場所:東成区大今里4丁目16-50妙法寺境内
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