作曲家・指揮者に転身
2014年6月20日
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- 貴志天国で育った才能
貴志天国で育った才能
- ヴァイオリニストをめざして
ヴァイオリニストをめざして
- 日本での活躍
日本での活躍
- 参考資料/康一の代表的な作品
参考資料/康一の代表的な作品

作曲家・指揮者に転身
ヒトラーと音楽情勢
転身の動機
「すべてがかりものだ、かりものをまたひとにかりものとして紹介して喜んで居るのだ。どうして自分自身を生みだせないのか、たといそれが未熟な不完全なものにしても…こういう不満から僕は作曲に入らざるを得なかった。そして意識的か無意識的かそれには何か我々の人種の血が通って居た。東洋の香が曲にもうつらざるを得なかった。それを私はどんなに喜んだことだったろう」
「いたずらに西洋音楽を模倣する事を止めて、表現手段は向こうのものを借りても内容は日本的雰囲気の濃いものを創造しなくてはなりません」
映画、作曲、指揮を披露した「日本のタベ」
1934(昭和9)年3月、康一は映画上映を兼ねた作品発表演奏会「日本のタベ」を、ドイツの映画会社ウーファの劇場で催しました。
「日本のタベ」では康一が制作をてがけた映画「鏡」と「春」を上映し、日本の文化や芸術について紹介しました。その後、彼が作曲した交響組曲「日本組曲」、歌曲8曲とヴァイオリン協奏曲を、いずれも自らが指揮し、ウーファ交響楽団の演奏により発表しました。この催しは新聞各紙にとりあげられ「古き日本が、文化に於いても芸術に於いても、ヨーロッパに意識的に接近しつつある新しい日本となった」と評しています。
ベルリンフィル八-モニー管弦楽団を指揮
1934(昭和9)年11月、25歳の時、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して自ら作曲した交響曲「仏陀」と交響組曲「日本スケッチ」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、R.シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」を演奏しました。演奏会はベルリンの新聞に「日本人貴志康一氏は伯林(ベルリン)フィルハーモニー・オーケストラを指揮し、特にその際、音色に対し驚嘆に値する指揮振りを示した」と評されました。大阪毎日新聞に「貴志氏独逸楽壇で/指揮棒を揮ふ/郷土大阪へ贈る快報」という見出しで報じられました。
楽譜の出版
レコーディング
日本文化の紹介
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