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参考資料/康一の代表的な作品

2014年6月20日

ページ番号:17422

参考資料/康一の代表的な作品

ヴァイオリン独奏曲

 康一がベルリンで発表したヴァイオリン曲は6曲です。いずれもピアノ伴奏付きで、1933(昭和8)年12月に「月」「水夫の唄」「竹取物語」が康一によって初演され、翌年には「漁師の唄」「花見」「龍」が発表されました。また、「ヴァイオリンソナタ」も作曲しています。とくに「竹取物語」は湯川秀樹博士がノーベル賞(物理学賞)を受賞した際、ストックホルムの晩餐会でこの曲が演奏されたことで有名です。

ヴァイオリン協奏曲

 ヴァイオリン協奏曲は、1934(昭和9)年3月にベルリン高等音楽学校教授のG.クーレンカンプの独奏、ウーファ交響楽団、康一の指揮によって第1楽章を初演しました。日本では、ヴァイオリニストの辻久子が1944(昭和19)年に第1楽章を初演するなど早くから康一の作品をとりあげています。

歌曲

 歌曲の代表作は3度目のベルリン留学の前に作曲・出版された「赤いかんざし」「かごかき」の2曲と「かもめ」「八重桜」「天の原」「風雅小唄」「さくらさくら」で、これら全7曲は、1934(昭和9)年R.ビルンバッハ社から出版されました。これらの曲のうち、「かごかき」「かもめ」「八重桜」「天の原」は、1933(昭和8)年12月、ピアノ伴奏でM.バスカ独唱によって初演されました。これらの曲とともに「赤いかんざし」「風雅小唄」「富士山」「燕」にも管弦楽伴奏が付けられ、翌年3月に、独唱M.バスカ、指揮貴志康一、ウーファ交響楽団によって全8曲を初演しました。ベルリン留学中に作曲した管弦楽伴奏歌曲には、「花売娘」「行脚僧」「芸者」「カ車」などがあります。
 「八重桜」は伊勢大輔の「いにしえの 奈良のみやこの 八重桜 きょう九重に においぬるかな」に「天の原」は阿倍仲麻呂の「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」に旋律をつけたものです。日本に伝わることばや、その情景を音楽で表現したものといえます。「赤いかんざし」と「かごかき」の歌詞は他の多くの歌曲同様に康一が書いたものです。それらのなかには「天神祭のかがり火を」「浪花はよいとこ名所が多い 天満の天神天王寺 御霊に住吉大阪城」「天神祭のお舟が通る 太鼓たたいて松明つけて どんちきちきちき どんちきちん」「曽根崎新地のタベの風情 三味や太鼓のはやしも陽気 とんとことことこ とんとことん」など大阪の地名や天神祭りの情緒豊かな情景が出てきます。大阪で過ごした日々や思い出は、康一の作曲の大切な土壌となったのです。

交響組曲「日本組曲」

 交響組曲「日本組曲」は「春雨」「祈り」「道頓堀」「淀の唄」「花見」「戦死」の6曲で構成されています。ベルリンで、ヴァイオリン協奏曲と管弦楽伴奏歌曲とともに、1934(昭和9)年3月に初演されました。「道頓堀」では、故郷の大阪の繁華街を描写しています。また「花見」では、古謡「さくらさくら」の旋律を、「戦死」では「君が代」の旋律をそれぞれ使い、日本情緒たっぶりの曲に仕上げています。

交響組曲「日本スケッチ」

 交響組曲「日本スケッチ」は、「市場」「夜曲」「面」「祭り」の4曲で構成されています。1934(昭和9)年11月に、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団を自ら指揮し初演しました。8月に両親に送った絵葉書に「僕は次回伯林の音楽会で発表する作曲でいそがしくして居ます」と書いています。

交響曲「仏陀」

 康一は信心深い祖父の影響を受けて、「仏陀」を作曲したのではないでしょうか。
 交響曲「仏陀」は構想の段階では「印度“父”」「ガンジスのほとり“母”」「釈尊誕生“人類の歓喜”」「摩耶夫人の死」「生老病死“青年時代”」「出家を決心す」「成道人偈」という標題の7楽章構成でした。しかし、1934(昭和9)年11月の初演ではそれぞれの楽章に標題をつけず、全4楽章の交響曲「仏陀」としています。

その他

 バレエ音楽「天の岩戸」、オペレッタ「なみ子」等の作品があります。

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