花電車
2024年7月1日
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国家的な慶祝行事や、そのほか大阪市の記念行事の際に、戦前・戦後を通じて数多くの花電車が運行されました。電車のサイドに看板を取り付けた簡易な装飾電車から、電飾を施した豪華な文字通りの花電車と呼べるものまであり、市民の関心を呼びました。

戦前の花電車
大阪ではじめて花電車が走ったのは明治38年(1905年)5月30日で、海軍の大勝利を祝したもので、電球を取り付けた材木に紅白の布を巻いたものを車体外部にめぐらせた簡単な装飾であったとの記録が残っています。
また、大正期に入ると豪華で本格的な装飾を施された花電車が出現しました。大正4年(1915年)11月、大正天皇御即位大礼奉祝の際には、奏楽車として用いられた「奉祝歌電車」、「鯛電車」、「鳳凰電車」、「万歳電車(2両)」の、計5両が市内を巡回し、祝意を表したようです。大正期には、その後昭和天皇の立太子礼記念、市電第3期線完成記念などで似たような形で花電車が運行されました。
昭和戦前期には、昭和3年(1928年)11月に昭和天皇の御大典記念として作られた一連の花電車をはじめとして、昭和6年(1931年)11月には大阪城天守閣再建祝、翌7年(1932年)11月に陸軍特別大演習記念、8年(1933年)5月には高速電気軌道(地下鉄)開業並びに路面電気軌道(市電)開業30周年記念など、日中戦争がはじまる昭和12年(1937年)までは毎年のように大がかりな花電車が走りました。当時、花電車への市民の関心も高く、市内をまんべんなく一通りは必ず走るように数日にわたる運行ダイヤが組まれ、その運行情報は新聞の片隅に掲載されていたそうです。

戦後の花電車
第二次世界大戦後は、昭和21年の大阪港開港記念、昭和22年の新憲法実施記念、23年の復興祭など、大阪復興の景気づけに小規模ながら花電車が走りました。戦後最も大がかりな花電車は、昭和28年の大阪市電創業50周年記念のときのもので、7両の花電車が数日にわたって市内を運行したようです。このときから、花電車はスポンサー付きの広告色豊かなものと変わっていきました。以降、市電が最後の日を迎える昭和44年3月末までに7度ほど運行がありました。



新憲法実施記念に運行した花電車

参考資料
- 「今は昔・・・大阪市電ものがたり」(Osaka Metro 提供資料)
- 「大阪市交通局75年史」大阪市交通局
- 「大阪市交通局監修 大阪市電―路面電車66年の記録-」
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