住吉区名所ガイド
2019年6月22日
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◆<史跡> 帝塚山(てづかやま)古墳
場所:住吉区帝塚山西2丁目
交通:南海高野線「帝塚山」下車 西約100m
市内に残る三古墳(茶臼山古墳=天王寺区、御勝山古墳=生野区、帝塚山古墳)の1つで、5世紀初頭の前方後円墳です。区の北部の高台にあり、大和朝廷に高官として仕え、この付近に居宅があった豪族大伴金村の墓という説もあります。
現存している塚は、前方後円墳として原形をとどめる市内唯一のものです。
◆六道の辻閻魔地蔵 (ろくどうのつじ えんまじぞう)
場所:住吉区東粉浜3丁目
戦国時代、天文7年(1538)の作と伝えられています。地蔵が閻魔大王に化身したもので、難波の浜から背負って運んで来たところ、この地で急に重くなり、一歩も前へ進めなくなったといわれています。冥土の苦界六道の辻が、今では1本増えて七道の辻となっています。閻魔は地蔵菩薩の化身で、姿は怖いが心は優しいといわれています。
◆生根神社 (いくねじんじゃ)
場所:住吉区住吉2丁目
交通:阪堺線「住吉」下車 北東約200m
祭神は少彦名命で、江戸時代は住吉大社の摂社であったが、明治5年分離されて郷社となりました。本殿は淀君が寄進し、片桐且元の手で竣工されたといわれています。桧皮葺・壱間社流造りの建物で、正面千鳥破風や扉の装飾などに、桃山時代の華麗な様式を残しています。「住吉大社造営記」によれば、慶長5、6年 (1600年頃)の建立とされています。昭和45年2月、府の有形文化財に指定されました。
◆住吉大社
場所:住吉区住吉2丁目
交通:阪堺線「住吉」下車 東すぐ
航海の神・祓の神・歌の神として古くから崇敬されている大社で、本殿4棟は桧皮葺・切妻造り妻入りの「住吉造り」と称されています。現存のものは文化7年 (1810)に造営されたもので特色ある神社建築により国宝に指定されています。境内には石灯ろうが600余基ありますが、これは大阪・堺をはじめ全国の商人から奉納されたものです。また、反橋(太鼓橋)は鎌倉時代以前からあったことが古書により確認されています。おもな祭礼・神事としては、5月の「卯の葉神事」、6月14日の「御田植神事」、7月30日から8月1日までの「住吉祭」などがよく知られています。3万坪ある境内には、重要文化財の石舞台や南門・東西楽所などがあります。「田植踊り」や「住吉踊り」で有名な「御田植神事」は、昭和54年重要無形文化財として指定されました。
◆紀州街道 (きしゅう かいどう)
場所:住吉区東粉浜1丁目~3丁目に至る
織田信長の時代、石山合戦のころよりできた街道。堺筋から日本橋、名呉橋を経て天下茶屋、天神の森、住吉大社石鳥居正面に至って、さらに安立町から大和橋を渡り堺に出る街道でした。今では阪堺線の路面電車が走り、独特のまちの雰囲気を醸し出しています。
◆浅沢(あさざわ)神社
場所:住吉区上住吉2丁目
交通:阪堺線「細井川」下車 東約200m
住吉大社の境外末社で、市杵島姫命が祭られています。細江川北岸のこの付近は古くから浅沢小野と呼ばれ、池沼も多く「かきつぱた」の名所でもありました。その様子は「万葉集」にも詠まれておリ、平成9年に「かきつばた園」が復活されました。
◆一休和尚の牀菜庵(しょうさいあん)の碑
場所:住吉区上住吉2丁目 上住吉西公園内
交通:南海高野線「住吉東」下車 南約300m
一休和尚(1394~1481)が、晩年仮棲したところです。一休は後小松天皇の落胤と伝えられ、天衣無縫・反骨で終始し京都・奈良・堺などに移り住みました。文明元年(1469)奈良から堺に来て、住吉に居住していました。翌2年、堺の豪商尾和宗臨(大徳寺伽藍再興に尽力した)が、ここに一庵を設けて一休を招請しました。
一休はここを雲門庵と称し、弟子ともども移り住み、数年後この空き地の一角に庵をつくり牀菜庵と号しました。
◆<史跡> 住吉行宮(あんぐう)跡
場所:住吉区墨江2丁目
交通:シティバス「墨江一丁目」下車南約50m
南朝の後村上天皇は、正平6年(1351)、北朝を奉じる足利義詮が降伏を申し出たので、翌年奈良県賀名生から住吉大社宮司津守国夏邸内の正印殿に移り、ここを行宮(行幸時の仮の宮居)としました。そのうち義詮は勢力をもり返して天皇の軍は敗れ、ふたたび賀名生に戻りました。後村上天皇はその後、たびたび行幸されましたが、ついに京都奪還はならず正平23年(1368)3月11日、41歳でこの地で亡くなられました。つぎの長慶天皇が即位されたのもこの地です。
◆熊野街道(くまのかいどう)
場所:上町台地を縦断
熊野街道は、和歌山県熊野本宮への参詣道で、平安時代から鎌倉時代にかけて「蟻の熊野詣」といわれる程、多くの人々の往来で賑わいました。
京都から淀川を舟で下り、八軒家(中央区天満橋京町)に上陸した人々は上町台地を縦断、途中所在する「熊野九十九王子」(住吉区では津守王子)と呼ぶ遥拝所をたどりながら熊野三山に至りました。住吉区内では万代池西側や住吉大社東側・墨江丘中学校東側、遠里小野小学校西側付近などは旧街道の面影を残しており、その顕彰碑が建てられています。
◆極楽寺(ごくらくじ)
場所:住吉区遠里小野5丁目
交通:南海高野線「我孫子前」下車 西約100m
創建年は不祥です。本尊毘沙門天はここから南に広がっていた榎津庄(奈良~平安期に見られる郷)にあった寺のものと伝えられています。境内には大きな一基の毘沙門天石灯籠があります。表面の磨滅は甚だしいが、建武3年(1336)丙子3月の銘があり、重要文化財に指定されています。一説によると、当寺に祈願して誕生した楠木正成の寄進と伝えられています。
◆若松神社 (止々呂支比売(とどろきひめ)命神社)
場所:住吉区沢之町1丁目
交通:南海高野線「沢之町」下車 南約100m
素盞鳴命・稲田姫命を主神とする式内社ですが、創建は不詳です。通称、若松神社とあるのは承久3年(1221)後鳥羽上皇が熊野詣をされた際、当神社境内の若松の林の中に御所を作り、その行宮を若松御所と称したことに由来します。
◆荘厳(しょうごん)浄土寺
場所:住吉区帝塚山東5丁目
交通:南海高野線「住吉東」下車 南東約100m
創建は、天慶年間の頃(930~946)と推定され、本尊は不動明王です。応徳元年(1084)白河天皇の勅により再建された時、「七宝荘厳極楽浄土‥」の銘がある金札が土中から発見され、それを寺号としました。四天王寺とならぶ壮麗な寺院であったが、戦火などにあって、現在の堂は、天和2年(1682) 再建されたものです。境内は、府指定顕彰史跡に指定されています。
◆万代(まんだい・ばんだい)池公園
場所:住吉区万代3丁目
交通:阪堺線「帝塚山三丁目」下車南東約50m
熊野街道が池の西端に接して通っています上町台地の浸食谷をせき止めてつくられた池と思われます。明治の終りころまで、潅漑池として利用されていました。昔は付近に人家はほとんどなく、魔物が住むと恐れられていましたが、聖徳太子が曼陀羅経をあげてしずめたことから「まんだら池」がなまったものと伝えられています。「千載集」の長居の浦は当池にあたるものであるとか、古墳の周濠ではないかともいわれています。今では桜も植えられ市内では珍しい静かなたたずまいをみせています。
◆細江川のせせらぎ (ほそえがわのせせらぎ)
場所:住吉区南住吉2丁目
交通:シティバス「千躰」下車東約100m
細江川は、古代には住吉津の入り江に注いでいた川で「万葉集」等にも歌われた歴史的背景を有しています。上流から約600mの区間において、せせらぎが復活しています。「万葉ゾーン」「遊びのゾーン」「四季のゾーン」を設け、ゆかりの歌碑を配し、かきつばたも見られるようになっており、区民の憩いの場となっています。
◆あびこ観音
場所:住吉区我孫子4丁目
交通:地下鉄御堂筋線「あびこ」下車西へ約200m
JR阪和線「我孫子町」下車東へ約400m
正式には「吾彦山」、寺号を「大聖観音寺」と称し、日本最古の観音信仰道場・厄除けの寺として有名です。昔、この地に住んでいた依羅吾彦という勢力のある一族が、百済の聖明王から身の丈約5cmの小さな観音像を贈られました。人々は御堂を建てて信心しましたが、今から約1400年前、聖徳太子がこの地を訪ねられた際、観世音菩薩のお告げを受け、当寺を創建されたと伝えられています。毎年恒例の「節分厄除大法会」は、厄除開運・無病息災・諸願成就を祈る人々でにぎわっています。
◆大依羅神社 (おおよさみ じんじゃ)
場所:住吉区庭井2丁目
交通:シティバス「依羅神社前」下車南約200m
祭神は、依羅吾彦の祖先である建豊波豆羅和気王を主神として合祀されています。依羅吾彦は、14代仲哀天皇に従って「熊襲征伐」に出かけたこともあり、この地に住んで豪族となりました。日本書紀によると、当神社は広大で、依羅氏が代々神主となっていましたが、南北朝の戦乱により依羅氏が滅び、社殿も焼失しました。現在の本殿の西北側にある古井戸は「庭井の清水」と呼ばれ、庭井の地名もこの伝説によるといわれています。
平成30年の台風により、神社の社殿や樹木が大変な被害を受けました。
令和元年6月に地域や各方面の方々による修復工事が完了しました。
◆浅香中央公園 (あさかちゅうおうこうえん)
場所:住吉区浅香1丁目
交通:シティバス「浅香中央公園前」下車
平成10年4月末には全域が開設され、区内で2番目の広さを持つ公園となりました。ここには、ナイター設備を備えたグランドや樹木・水の流れを配した芝生広場、プロムナードが設けられています。また、舞台の周りの人口池には、区の花「かきつばた」も植えられ、子どもからおとしよりまで多くの区民の憩い、くつろげる、ふれあいの場となっています。
◆大和川 (やまとがわ)
奈良県を流れる初瀬川に続く川で、生駒山地と金剛山地の間にある亀の瀬より下流を大和川と呼んでいます。もとは、石川との合流点(柏原市)から北に流れて、尻無川・木津川につながっていたのですが、宝永元年(1704)に現在の場所につけかえられました。吾彦大橋からJR阪和線まで東西約1kmの河川敷には、テニスコートや運動広場、四季の花広場が設けられています。
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