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大正区の渡船

2024年4月1日

ページ番号:498

渡船の歴史

市内の渡船の位置図です。

 周囲を水に囲まれた大正区は大正初期まで大部分がのどかな農村地帯でした。
 陸路の交通機関の発達は遅く水路を行き来する小船と、木津川や尻無川の渡しが重要な交通機関でした。
 水都大阪には多数の河川があり、人々の通行のための渡船は江戸時代から始まり渡船業は代々家業として受け継がれて来ましたが明治24年に府が「渡船営業規則」を定め監督、取締りを行なうようになりました。
 明治40年に安治川、尻無川など29の渡船場を市営事業として市が管理することになりました。
 大正9年、旧道路法の施工により渡船は無料となり、それまでの請負制から昭和7年、市の直営方式に改められ現在に至っています。
 昭和10年には31箇所あった渡船場が橋梁の架設や道路施設の整備に伴って次第に廃止され、特に昭和20年には戦災のためその多くが廃止されました。
 昭和23年15箇所で再開されましたが、その後都市整備が進み自動車の利用増加によって、12箇所となりました。利用者の減少により、大阪市内の渡船は現在ベイエリアを中心に8箇所となっています。その内の7箇所が大正区にあり(1箇所は天保山渡船=港区)区民の生活に欠かせない交通手段のひとつとして今なお親しまれ、日々利用されています。
 自動車の利用が多くなった現在も生活の足になり動く橋として利用するかたわら近代都市の風物詩となっています。

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手こぎの渡し船の写真
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昔こういった手こぎ船で渡していた

エンジン付木船の写真
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手こぎの次時代・エンジン付木船

甚兵衛渡船場(じんべえとせんじょう)

~大阪市で利用者が一番多い渡船~

概要

甚兵衛渡船場の写真です。
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 尻無川の堤は昔、紅葉の名所でした。「摂津名所図会大成(せっつめいしょずえたいせい)」に「この河の両堤に黄櫨(はぜ)の木を数千株うえ…紅葉の時節にいたりては川の両岸一円の紅(くれない)にして川の面に映じて風景斜ならず河下に甚兵衛の小屋とて茶店あり年久しき茅屋(ぼうおく)にして世に名高し」とあります。この甚兵衛渡しの小屋は「蛤小屋(はまぐりごや)」と呼ばれて、名物のしじみ、はまぐりを賞味する人が絶えなかったそうです。大正区側の「泉尾(いずお)」の町名は、元禄15年(1702年)に開発された「泉尾新田」によりますが、その名称は開発者の出身地(和泉(いずみ)国踞尾(つくの)村)に由来しています。(現堺市西区津久野町)
 
 大正区泉尾7丁目と港区福崎1丁目を結び(岸壁間94m)、朝のラッシュ時は学生の利用も多く、2隻の船が運航しています。


所在地: 大正区泉尾7-13
もよりのバス停: 大阪シティバス98、98A、108系統『泉尾四丁目』下車、西へ約400m
利用時間・休日 :
平日・土…6時30分~21時25分
日・祝日…6時30分~21時
※元日は休航、荒天時は運航中止
利用料 : 無料
問い合わせ : 建設局河川・渡船管理事務所 電話 06‐6536-5295

時刻表

落合上渡船場(おちあいかみとせんじょう)

~木津川水門が真近に見れる渡船~

概要

落合上渡船場の写真です。
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 落合上渡船は、大正区千島1丁目と西成区北津守4丁目を結んでいます(岩壁間100m)。
 大正区側は旧町名を「新炭屋町(しんすみやちょう)」と言い、宝暦13年(1763年)に大坂瓦町居住の炭屋三郎兵衛によって開発された「炭屋新田」のあったところです。明治以降も鉄工所や造船所等の企業が立地するとともに、北方の三軒家方面へ道が延びていました。
 また、関西随一の木材市場を支えた「大正運河」(現在は埋立てられ千島公園の下になっています)の木津川の入口もこの渡しの南側にありました。
 上流にある木津川水門(防潮)は、常時開いているが、毎月1回程度開閉試験運転のため閉められます。

所在地:大正区千島1-29
もよりのバス停: 大阪シティバス94系統『千島公園前』下車、東へ約300m
利用時間・休日:
平日・土…6時15分~21時25分
日・祝日…6時30分~21時
※元日は休航、荒天時は運航中止
利用料: 無料
問い合わせ: 建設局河川・渡船管理事務所 電話 06‐6536-5295

時刻表

落合下渡船場(おちあいしもとせんじょう)

~ユリカモメと一緒に木津川を渡る~

概要

落合下渡船場の写真です。
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 大正区平尾1丁目と西成区津守2丁目を結ぶ(岸壁間138m)落合下渡線船は、開設時期は明確ではないものの、天保10年(1839年)の「大坂湊口新田細見図(おおさかみなとぐちしんでんさいけんず)」にも「ワタシ」の表示があります。
 対岸の「津守(つもり)」には、津守新田の産土神を祀る、「津守神社」があります。津守の名称は古く「万葉集」にも見えます。
 また、大正区側の「平尾(ひらお)」の町名は明和8年(1771年)に開発された「平尾新田」に由来します。
 このあたりは、毎年10月から翌年4月にかけて、数百羽のユリカモメが飛来します。

所在地:大正区平尾1-1
もよりのバス停: 大阪シティバス94系統『小林公園前』下車、東へ約150m
利用時間・休日:
平日・土…6時30分~19時25分
日・祝日…6時45分~19時
※元日は休航、荒天時は運航中止
利用料: 無料
問い合わせ: 建設局河川・渡船管理事務所 電話 06‐6536-5295

時刻表

千本松渡船場(せんぼんまつとせんじょう)

~橋と共存する渡船~

概要

千本松渡船場の写真です。
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 このあたりは木津川の川尻に近く、江戸時代には「北前船(きたまえぶね)」をはじめ諸国の船が盛んに出入りしました。幕府は舟運の安全のため、大阪市章のもとになった「澪標(みおつくし)」を数多く設置するとともに、防波堤として、天保3年(1832年)には長さ1.58kmに及ぶ大規模な石の堤が築かれました。
 千本松の名の由来は、この堤防に植えられた松並木によっていて「摂津名所図会大成(せっつめいしょずえたいせい)」に「洋々たる蒼海(そうかい)に築出せし松原の風景は彼の名に高き天橋立、三保の松原なども外ならずと覚ゆ…」とあります。
 昭和48年(1973年)に千本松大橋が完成しましたが、現在、渡船は通学の貴重な交通手段として大正区南恩加島1丁目と西成区南津守2丁目を結び(岸壁間230m)、運航されています。
 大正区側の「南恩加島(みなみおかじま)」の町名は文政12年(1829年)に開発された「南恩加島新田」に由来しています。

所在地:大正区南恩加島1-11-1
もよりのバス停: 大阪シティバス76、94系統『千本松橋西詰』下車、東へ約300m
利用時間・休日:
平日…6時~21時30分
土…6時~21時25分
日・祝日…6時15分~21時25分
※元日は休航、荒天時は運航中止
利用料: 無料
問い合わせ: 建設局河川・渡船管理事務所 電話 06‐6536-5295

時刻表

千歳渡船場(ちとせとせんじょう)

~大正区内で航路が一番長い渡船~

概要

千歳渡船場の写真です。
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 鶴町(つるまち)地域は、大阪市の築港計画(明治30年~昭和3年)によって埋立てられ、大正8年には万葉集の歌(巻6-1064)に因み「鶴町」と名づけられました。当地と対岸にあった千歳新田(現在は大部分が大正内港となっています)を結ぶ橋として、大正11年に旧千歳橋が架けられ市電も運行されていましたが、大正内港工事のため昭和32年に橋は撤去されこの渡船場が設けられました。
 渡船は大正区鶴町3丁目と同区北恩加島2丁目を結んでいます(岸壁間371m)。
 鶴町側からは、多くの船が浮かぶ大正内港のかなたに、昭和山(標高33m)や千島団地等が眺められ、尻無川の広々とした河口風景ともあいまって、ウォーターフロントの美しい景観となっています。
 平成15年4月には、この渡しの上を全長1,064m、海面からの高さ28mの新「千歳橋」が完成し大正区の新たなランドマークとなっています。


所在地: 大正区北恩加島2-5、大正区鶴町3-1
もよりのバス停: 大阪シティバス98、98A、108系統『新千歳』下車、南西へ約700m、
または市バス55、71、75、80、90、91、94、108系統『鶴町4丁目』下車、北へ約300m
利用時間・休日:7時~19時50分
※元日は休航、荒天時は運航中止
利用料: 無料
問い合わせ: 建設局河川・渡船管理事務所 電話 06‐6536-5295

時刻表

船町渡船場(ふなまちとせんじょう)

~住宅地と工業地を結ぶ渡船~

概要

船町渡船場の写真です。
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 船町渡船は、大正区鶴町1丁目と同区船町1丁目を結んでいます。(岸壁間75m)。「木津川運河(きづがわうんが)」は対岸との距離が短いため、渡船の運航方法は他の渡船と違い、円を描いて戻ってくる航路をとっています。大阪港の第1次修築工事(明治30年~昭和3年)による埋立地として「船町(ふなまち)」「鶴町(つるまち)」「福町(ふくまち)」が造成されたのと合わせて、木津川と尻無川を連絡するため昭和4年に開設されました。
 昭和初期には、渡船の北岸の「鶴町」には、市電鶴町車庫や外資系の自動車工場等があり、南岸の「船町」には伊丹空港の前身である木津川飛行場や造船所等がありました。


所在地: 大正区鶴町1-16、大正区船町1-3
もよりのバス停: 大阪シティバス55、71、72、75、80、90、91、94系統『鶴町1丁目』下車、南へ約300m
または市バス70系統『西船町』下車、北へ約200m
利用時間・休日:
平 日…6時15分~21時
土・日・祝日…6時30分~20時40分
※1月1日~1月3日まで休航、荒天時は運航中止
利用料: 無料
問い合わせ: 建設局河川・渡船管理事務所 電話 06‐6536-5295

時刻表

木津川渡船場(きづがわとせんじょう)

~カーフェリーボートから変身した渡船~

概要

木津川渡船場の写真です。
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 大正区船町1丁目と住之江区平林北1丁目を結んでいます(岸壁間238m)。昭和30年からカーフェリーを運航し乗用車から大型トラックまで運搬し得る能力を持っていましたが、上流部に千本松大橋が開通し、今は人と自転車のみを運ぶ渡船となっています。大正区戦災復興事業によって、区内にあった木材関連施設を住吉区(現住之江区)平林へ移転することになり、これに伴い利用者の便に供するため渡船の運航を始めました。
 水が綺麗になったためか、渡り鳥が飛来し、毎年10月から翌年4月にかけて魚をとる姿がみられます。
 なお、大正区側の「船町(ふなまち)」の町名は難波宮(なにわのみや)賛美の歌「あり通ふ難波の宮は海近み海人をとめらが乗れる船見ゆ」(巻6-1063)に由来しています。


所在地:
大正区船町1-1
もより駅 : 大阪シティバス70系統『中船町』下車、南へ約300m
利用時間・休日 :6時30分~20時30分
※お盆(8月13~15日)、年末(12月29~31日)は祝日ダイヤに変更
※1月1日~1月3日は休航 荒天時は運行中止
利用料 : 無料
問い合わせ : 港湾局海務担当 電話 06-6572-4101

時刻表

 

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