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諏訪神社の獅子舞

[2009年3月16日]

保護団体

諏訪神社獅子地車保存会

所在

城東区諏訪2-15-16

紹介

諏訪神社の獅子舞/写真

 諏訪神社では秋祭りに獅子舞が行われている。神社の資料は獅子舞について以下のように記している。
 「此の獅子は豊臣秀吉公が天正十八年(1590)小田原城攻略戦勝に際し、大阪城鎮護の神として日頃尊崇している、諏訪神社の霊験を得たとして奉納されたものである。雌、雄一対で雄を〈白豊号〉雌を〈白雲号〉と称していたが明治十八年(1885)の大水害に雄獅子は流失し現在雌獅子(白雲号)のみが残っている。」
 豊臣時代から獅子舞が始まったと伝承されているが、明治18年の水害によって、過去の記録が一切が流失してしまったので、残念ながら文献史料から裏付けることはできない。そこで、今日獅子舞を伝承し、保存している保存会の方々から話をうかがった(2002年9月3日調査)。
 舞い手には氏子の若者があたっている。獅子は総毛の毛獅子である。頭役と胴役の2人で1組となり舞う。舞いの最中には〈センマン〉(先舞い?)という介添え役が必ず付く。〈センマン〉役には獅子舞の経験のある者があたる。
 昭和5年の頃には、2組の舞い手があった。この2組の何代か前に【藤田・朝田】という組があった。聞いている範囲ではこの組が一番古い組。昭和5年頃に【藤田・朝田】組は45~50歳位だったので、明治15年(1882)前後の生まれの方だった。昭和の初め頃の2組の舞い手は、明治生まれの【藤田・朝田】組に舞い型を教わったと聞いている。
 戦争中に一時途絶えていた獅子舞を昭和43年に復興した時は昭和初年に舞っていた2組が指導し、舞いの型を復元した。この時の指導者は、明治中頃の【藤田・朝田】から型を教わってきたので、現在伝わっている型は明治中頃の型ということができる。明治中頃の型を正確に伝承するため、昭和44年に記録写真を撮り、今日でもこの写真を基にして、舞いの稽古をしているという。
 諏訪神社の獅子舞は、秋祭に境内で行われてきただけで、他地域へ出向いて演じたり、他地域から技術が入ってきたということもなさそうである。毛獅子は兵庫県内に分布しているが、大阪市内では例がなく貴重な民俗文化財である。

参考文献

高島賢二「諏訪神社の獅子舞(上)(下)」(『まつり通信』424・425号1996)  

伊藤純「諏訪神社の獅子舞」(『大阪の歴史と文化財』10号2002)

 

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