諏訪神社の獅子舞
2019年1月9日
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諏訪神社の獅子舞
すわじんじゃのししまい
分野/部門
保持団体
諏訪神社獅子地車保存会
所在地
大阪市城東区諏訪 諏訪神社内
紹介
諏訪神社では秋祭りに獅子舞が行われている。大阪市内で獅子舞が古来より伝わるのは、この諏訪神社のみである。神社の資料は獅子舞について以下のように記している。
「此の獅子は豊臣秀吉公が天正十八年(1590)小田原城攻略戦勝に際し、大阪城鎮護の神として日頃尊崇している、諏訪神社の霊験を得たとして奉納されたものである。雌、雄一対で雄を〈白豊号〉雌を〈白雲号〉と称していたが明治十八年(1885)の大水害に雄獅子は流失し現在雌獅子(白雲号)のみが残っている。」
豊臣時代から獅子舞が始まったと伝承されているが、明治18年の水害によって、過去の記録の一切が流失してしまったので、残念ながら文献史料から裏付けることはできない。そこで、今日獅子舞を伝承し、保存している保存会の方々から話をうかがった(2002年9月3日調査)。
舞い手には氏子の若者があたっている。獅子は総毛の毛獅子である。頭役と胴役の2人で1組となり舞う。舞いの最中には「センマン」と呼ばれる介添え役が2人付く。センマンは「先舞い」の訛りとも言われ、獅子舞を過去に経験している二名の男性が努める。
昭和5年の頃には、2組の舞い手があった。この2組の何代か前に【藤田・朝田】という組があった。聞いている範囲ではこの組が一番古い組。昭和5年頃に【藤田・朝田】組は45~50歳位だったので、明治15年(1882)前後の生まれの方だった。昭和の初め頃の2組の舞い手は、明治生まれの【藤田・朝田】組に舞い型を教わったと聞いている。
戦争中に一時途絶えていた獅子舞を昭和43年に復興した時は昭和初年に舞っていた2組が指導し、舞いの型を復元した。この時の指導者は、明治中頃の【藤田・朝田】から型を教わってきたので、現在伝わっている型は明治中頃の型といえる。明治中頃の型を正確に伝承するため、昭和44年に記録写真を撮り、今日でもこの写真を基にして、舞いの稽古をしているという。
諏訪神社の獅子舞は、秋祭に境内で行われてきただけで、他地域へ出向いて演じたり、他地域から技術が入ってきたということもなさそうである。総毛の毛獅子は兵庫県内に分布しているが、大阪府内では他に例がなく貴重な民俗文化財である。
参考文献
関連ページ
大阪市指定文化財(平成15年度)
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