区長メッセージ 旭区における戦争の面影
2025年6月11日
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区民の皆様には、日頃から区政の伸展にご理解とご協力を賜り、感謝申し上げます。
今年は、太平洋戦争終結から80年の節目にあたりますが、大阪では昭和20年3月以来、50回以上にわたる空襲に見舞われ、うち8回はB29等の大空襲により、多くの方々が犠牲となりました。
中でも昭和20年6月7日、大阪市東部などに対する空襲では、旭区において1トン爆弾・焼夷弾による爆撃、機銃掃射を集中的に受け、数百人から千人以上もの犠牲者を出したとされます。

慰霊碑 「千人つか」

写真1 城北公園北側の淀川堤防上にある「千人つか」
6月7日の大空襲の後、地元有志の方々により身元不明の多数のご遺体が、連日、淀川河川敷でだびに付されました。それから80年にあたる6月7日、慰霊碑「千人つか」には、入れ代わり立ち代わり、手を合わせる方が訪れていました。
私事ながら、母方の親族がこの日の空襲で家屋・財産の全てを焼失し、犠牲者は出なかったものの、叔父が重傷を負ったと伝え聞いており、私も犠牲者のご冥福を祈らせていただきました。

淀川「わんど」と菅原城北大橋

写真2 淀川「わんど」と菅原城北大橋
流麗な斜張橋である菅原城北大橋付近には、貴重な淡水魚の生息地として知られる「わんど」が点在しますが、空襲時には、背が高く茂ったヨシ原に身を潜めて難を逃れた方もおられたとお聞きしました。また、河川敷には、1トン爆弾投下による穴に水が溜まった池ができ、菅原城北大橋の上からその名残が見られるとのこと。

城北公園・花菖蒲園
昭和20年6月7日の機銃掃射で多くの犠牲者が出た城北公園は、現在、市民の憩いの場として多くの人々に親しまれ、惨禍から80年を経た6月7日も、花菖蒲園は、多くの人で賑わっていました。

写真3 現在の城北公園・花菖蒲園
写真4 現在の城北公園・花菖蒲園
太平洋戦争で犠牲になられた多くの方々に改めてご冥福をお祈り申し上げますとともに、戦後80年の節目を迎え、現代に生きる者として、戦争の悲惨さを後世に語り継ぎながら、平和な世界を築く努力を続けなければならないと改めて感じました。
(参考:旭区地域史)
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