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区の由来

2019年1月8日

ページ番号:72

舎利尊勝寺の写真

 生野区は、昭和18年4月1日、全面的行政区画の変更により大阪市が22区となった際、旧東成郡鶴橋村、生野村、小路村の区域が東成区から分かれて創設され、その後、昭和30年4月3日、6ヵ町村合併の際に中河内郡巽町を編入し、現在に至っています。
 現在の舎利寺1丁目2番街区にある「舎利尊勝寺」の、「舎利寺の鐘」の周りには区の由来となった大昔の物語が漢字で刻まれています。この物語によると 1300年程前、この辺りに「生野長者」といわれる立派な人が住んでおり、長者には子供がいましたが言葉が話せなかったといいます。ちょうどその頃、四天王寺におられた聖徳太子は、子供に向かって「あなたは知らないが、生まれる前に仏舎利を預けてある。今すぐ返しなさい」と言われました。
 子供は、口から仏舎利を3個はきだし、聖徳太子はその仏舎利の1つを奈良の法隆寺へ、もう1つを大阪の四天王寺へ納め、残りの1つを生野長者に渡されました。それから子どもは言葉を話すようになり、長者は喜んでお堂を建て仏舎利を奉りました。
 区の誕生とともに生野長者にちなみ生野区と名づけられました。

参考文献:郷土誌いくの刊行会[編]『郷土誌いくの第2号』郷土誌いくの刊行会,1982年9月,巻頭・pp.2-4

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