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再発見!すみよし文化レポート その1

2024年3月19日

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再発見!すみよし文化レポート その1 大阪市立大学大学院文学研究科教授 仁木宏(にきひろし)さん

住吉区で文化的・歴史的活動をされている個人や団体に活動内容や住吉の魅力についてお話を聞いていきます。

 

まちかどの歴史に気づく授業を 大阪市立大学大学院文学研究科教授 仁木宏さん

平成25年6月13日(木)大阪市立大学文学部「人間文化基礎論」の授業の一環として、ボランティアガイド「歴史案内人の会」のみなさんの案内で、大学に近い遠里小野地区のまち歩きが行われました。引率の仁木先生は中世史の専門家です。今回、「歴史案内人の会」とのコラボレーションよる授業を行うことになったきっかけや、先生の思われる住吉の歴史や文化について、いろいろとお伺いしました。

 

歴史はまちかどにある

― 今回、「歴史案内人の会」の案内による遠里小野のまち歩きをされて、先生ご自身のご感想はいかがでしたか?

    まず、第一弾として、遠里小野という地域を選んでよかったと思います。もちろん、住吉区内には他にも興味深いところはまだまだありますが、遠里小野のように、明確に濠(ほり)に囲まれていた地域は珍しい。濠に囲まれた中で自治的に結集した人びとの豊かな暮らしがあったことが窺えます。また、熊野街道が集落内を通っていることも大きいと思います。大阪と堺の中間にある遠里小野には、盛んに情報や人や文化や信仰が行き交っていたと考えられます。室町時代から戦国時代には、相当に栄えた都市であったと思われ、遠里小野の土地の豊かさが随所に感じられます。

 

― このような授業をされようと思われたきっかけを教えてください。

 今まで中世史を専門に研究してきましたが、意外に大学周辺のことについては調べていないことに気づき、自分自身も学生と一緒に学びたいと思い、「歴史案内人の会」にお願いしました。上回生になると、ゼミの遠足などでは、外部講師から講義を受ける機会もあるのですが、それはあくまでも専門家の見地からのものです。地域の身近なガイドさんからお話を聞くと、普段は見過ごしそうな、何ていうことのない場所が歴史の舞台であることに改めて気づかされます。

 

― 学生さんの反応はいかがでしたか?

 興味を持って聞いていました。学生にとっても、普段利用している駅であるとか、身近な場所にも歴史の舞台がある、ということは衝撃的だったようです。学生たちは「歴史は教科書の中にある」ものだと思いがちですが、こういう機会を通して「歴史はまちかどにもある」ことに気づいてくれれば、と思います。住吉区と言えば、どうしても住吉大社が歴史的にも文化的にも注目されがちですが、普段自転車で走り抜けているような、身近な世界を対象として、どうみることができるか学んでほしい。歴史学専攻の学生にも他の学生にも、大学での学びとして有意義な経験になると思います。来年度以降も引き続き、遠里小野だけでなく別の地区も視野に入れて続けていければと思っています。

 


南海高野線あびこ前駅に集合して、出発です


ボランティアガイド「歴史案内人の会」の皆さんの説明を聞きながら歩きます


何気ない通りにも、足元には濠(ほり)跡といわれる石垣があります

豊かな都市、住吉

― 先生の思われる「住吉の魅力」ってなんでしょうか?

 大阪市内には難波宮のある中央区、天王寺さんのある天王寺区、など有名な歴史のある地域があります。ただ、そこだけなく、もちろん平野区や他の地域もそうでしょうが、住吉区には遠里小野をはじめ、歴史の素材がたくさん散りばめられていると感じています。集落には集落ごとの歴史があります。古代から中世、中世から近世、そして現代、高度成長期と住吉区には長い歴史を通して生活の余裕のようなものがあります。中世から近世にかけて安定して発展してきた、都市近郊の豊かな農村の良さが感じられます。

 戦国時代までは僧侶、武士、貴族のみが文字を使っていました。そのため、京都などの都市近郊をのぞき、全国のほとんどの農村についての記述は残っていません。しかし、「住吉」はもちろん、「遠里小野」などの集落名も、京都や奈良に残る日記や地図に頻繁に出現します。それだけ、当時から注目されていた地域なのだと思います。


極楽寺 楠正成ゆかりのお寺です


西方寺
本堂の天井には津守氏から当時の住職に贈られたという篭がつるされています


西方寺 観音堂には十一面観音菩薩立像があります


雲上地蔵尊 大和川のそばにあります

間にある都市、住吉

― 住吉が育んできた文化、育んでいく文化とは何だと思われますか?

 なかなか難しい質問ですね(笑)まずは、遠里小野もそうですが、大阪と堺の間にあることが一番のメリットだったと思います。「いいとこ取り」をしてこれたのではないでしょうか。大阪と堺の間にあることで、いろんな情報や文化が行き交っており、地域における文化拠点になっていたと思います。中世には文化人、知識人の核となる場所であったのではないでしょうか。また、油の生産地であった遠里小野などは、単に住吉大社に油を納める代わりに文化的にも社会的にも影響を受けていたと考えられ、住吉大社を中心とした文化的な影響がにじみ出ていたと感じます。

 現在はマスメディアが発達し、情報発信も東京一極中心になりがちですが、間に立地するメリットを活かしてきた住吉だからこその、文化的な活動や情報発信、その受容などの動きができるのではないでしょうか。

 

ありがとうございました。

 


仁木 宏(にき ひろし)
大阪市立大学大学院文学研究科 教授
1962年生まれ
大阪府東大阪市出身
京都大学大学院文学研究科博士後期課程退学
博士(文学)

専門分野: 日本中世史 都市史 地域社会史
所属学会:大阪歴史学会、日本史研究会、史学研究会、歴史学研究会
主要業績:
仁木 宏(1997)『空間・公・共同体-中世都市から近世都市へ-』,青木書店,pp.1-256
仁木 宏(2002)「近世社会の成立と城下町」,『日本史研究』,476,pp.51-67
仁木 宏(2004)『戦国時代、村と町のかたち』,山川出版社,pp.1-106
仁木 宏(2004)「ドイツ中世港湾都市の空間構造-日本中世都市との比較の可能性をさぐる-」,『都市文化研究』,4,pp.118-126
仁木 宏・内堀信雄他編(2006)『守護所と戦国城下町』,高志書院,pp.1-498
仁木 宏・松尾信裕編(2008)『信長の城下町』,高志書院,pp.1-304
仁木 宏(2010)『京都の都市共同体と権力』,思文閣出版,pp.1-311

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