再発見!すみよし文化レポート その5
2016年4月30日
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再発見!すみよし文化レポート その5 帝塚山スタジオ 市川恵子(いちかわけいこ)さん
住吉区で文化的・歴史的活動をされている個人や団体に活動内容や住吉の魅力についてお話を聞いていきます。
積み重ねる価値を守ることが、進むこと フラメンコを通してみる帝塚山 市川恵子さん
閑静な住宅街に佇む帝塚山スタジオ帝塚山本校。築100年の土蔵を改造したスタジオでは、フラメンコのステップの音が美しく鳴り響きます。漆喰の壁一面には、訪れた内外のアーティスト達のサインがあり、関西はもとより日本のフラメンコの拠点として、このスタジオが存在していることを物語っています。このスタジオのオーナーであり、日本を代表するフラメンコの踊り手でもある市川惠子さんに、フラメンコとの出会い、スタジオへの思い、住吉の文化などについてお伺いしました。
フラメンコとの出会い、場所との出会い
― 市川さん、フラメンコを始められたきっかけを教えてください。
子どもの頃から、歌や踊りが好きでした。中学生の頃は器械体操をしていましたね。跳馬は嫌だったのですが(笑)、音楽に合わせて踊る平均台や後手体操は好きでした。高校生の頃はモダンダンス部に入っていました。江口乙矢先生に師事するため、先生が帝塚山におられたので、帝塚山にある短大に入学し、大阪に来たんです。先生には、舞台人としての大切なの心構えを教わりました。青春時代は江口舞踊団一色でした。
― モダンダンス一色だった市川さんが、どのようにフラメンコに出会ったんでしょうか?
卒業後、東京で就職し、企画会社でデザインの仕事をしていました。そのときに、ジャズダンスをやっていたのですが、同じビルにたまたま、フラメンコのスタジオがありました。リズムをとるだけでなく、体を駆使して喜怒哀楽を表現するフラメンコが好きになりました。その後、再び結婚を機に大阪に戻ってから、本格的に始めたんです。
― 大阪に戻られて、本格的に始められたんですね。
はい。フラメンコは果てしない道です。どんどんのめりこんでいきました。その頃は大阪にはフラメンコのスタジオがありませんでした。結婚後、今のところに暮らすようになり、土蔵の中に板を敷いて踊ってみると、とてもよかったんです。そこで、1988年に土蔵の中のフリースペース(ギャラリー兼スタジオ)としてオープンしました。
― 土蔵の中で踊ると、どうよかったんですか?
まず、踊ったときの足の音に深みがあるんです。地に着いた音というか、、。雰囲気も好きですね。スペイン人もよく訪れるんですが、スペイン人もここが好きですね。外からは遮断された空間で、音が響きあうんです。漆喰や真鍮、木の床などの素材があったかくて心地いいんです。
― とても気に入っておられるんですね。
ええ。この土蔵、スタジオ、そして帝塚山は原点です。作品や振り付けの打ち合わせなどもここでやります。自分が大切にしている時間はここで過ごすんです。土蔵をスタジオにすることを良く思わない人もいたんですが、今では、テレビ番組で取り上げられたりして、認めてくれるようになりました。「フラメンコらしきもの」は、やりたくない
― 市川さんにとって、ここはとても大切な場所なんですね。その後フラメンコに、ますますのめりこんでいったんでしょうか?
はい。スペインのビエンナーレを見て、プロになる決意をしました。自分の練習のため、いろんなところで踊りました。そのうち、生徒も増え、サークルから教室へとなりました。
― 今では、この本校以外にもたくさんスタジオがありますね。多くの生徒さんが習っておられるかと思いますが、大変な面もおありでしょうか?
生徒さんが増えてきて、ニーズに合わせて、梅田や難波にも開校しました。当時はスタジオを開校するのにも苦労しました。大家さんの偏見があったのか、なかなか開校できなくて。梅田は開校までに3年間もかかりました。生徒数はだいたい200人以上、多いときで500人以上いました。ブームは単なるきっかけで、周囲の流れが自分のタイミングと合っていたんだと思います。人にも恵まれています。スタジオは25周年を迎えました。近鉄小劇場、厚生年金会館を経て、BRAVA!で定期公演をしています。帝塚山音楽祭や中之島まつり、すみ博にも出演しています。
― いろいろご苦労がありながら、生徒さんも増えていき、活躍の場も増えていったんですね。
ええ。それぞれのスタジオで育った生徒たちがいます。細かなレベルに分かれてたくさんの生徒がいます。私自身も30歳になってから始めました。年齢や体型は関係ありません。誰でもチャレンジできます。ただ、女性の人生はいろいろですから、辞める人も出てきますが、ある程度のレベルは保ってやってきています。「フラメンコらしきもの」をやりたくはないんです。日曜には、どのクラスの生徒も来ていいクラスがあります。そこでは基礎レッスンを1時間して、あとはエンドレスのクラスです。掘り下げてこそフラメンコの本当のところに触れられます。1年、3年、5年、10年と踊りこんでわかることがあります。
自由に踊りたいなら、基礎が必要です。また、習った曲を踊り込むことが大切です。フラメンコにはいろんな事を考える時間がいります。ゆっくりとした時間がほしいんです。
フラメンコで統括された
― もともとご活躍されていたデザインのお仕事はどうされたのですか?
しばらくは二足のわらじを履いていたんですが、結局フラメンコを選びました。ただ、デザインへの思いはフラメンコに統括されていると思います。フラメンコに関することは、全て自分でチェックしています。広告も自分で考えます。衣装も大事です。人に任せず自分で考えます。そう思うと、モダンダンスの経験もプラスになっていますね。特に「自己表現」の部分が大きいです。もちろん、乙矢先生の影響が大きいです。フラメンコはスペイン人に習い、独自に歌い手やギタリストからも学ぶこともあります。でも「踊り」での師は乙矢先生です。体を駆使してどう表現できるか、教えられました。青春時代に厳しさを知ったことがよかったです。自分の独特さはモダンダンスの経験から来ていると思います。
フラメンコの魅力
― いろんな経験が今の市川さんのフラメンコを作っているんですね。こまで市川さんを惹きつけたフラメンコの魅力とはなんでしょうか?
生命力あふれる踊りで、体感できる感動でしょうか。
フラメンコは元々、即興的なもので色んな決め事の中で、感情や個性を大切にそれぞれが自由に表現します。何よりも自然体であることが重要なのです。
決して自分だけではできないフラメンコ。ギター、唄、踊り、うまくそれぞれの役割が増長し、からみあったとき、本当の三位一体を感じることができるのです。生でしかできない、その時だけの感動、いつ、どういう感動が生まれるのか。その思いが私のフラメンコの継続への原動力となってきたのです。
フラメンコを通してみる、今までとこれから
― フラメンコとの出会いから振り返って、フラメンコを通してこれからの帝塚山、住吉についてどんな思いがありますか?
短大時代を過ごしたこの土地にお嫁にきて、毎日全てのことに感動していました。色々な人との出会いに恵まれ、家族の理解もあり、その中でフラメンコにどんどん惹き込まれ奥の深さを知り、また幾度となく支えられ踊り続けてこられたのだと思います。歴史を感じる古いものが好きで、この家も残したいという思いで土蔵を改造しました。おおらかなこの土地が大好きです。個性や歴史を感じる粉浜商店街で買い物をするのも私の楽しみの一つです。大阪が私、合うんですね。
-初めに、大阪に、帝塚山に来たときの印象はいかがでしたか?
帝塚山には楽しい思い出がいっぱいあります。その頃の帝塚山は、学生街でもありのどかでした。おしゃれなお店の横に魚屋さんがあったり(笑)。気取らない土地柄ですよね。昔は本当に色々なお店が沢山ありました。帝塚山音楽祭は初めは盛り上げたいという気持ちとフラメンコを多くの方に知ってもらいたいという思いで、勝手に踊っていたような感じです(笑)。今では立派な音楽祭になっていますが、私も共に歩んできたという思いが強いですね。蔵でのライブも、地元の皆さんは楽しみにして下さっています。おかげ様でいつも盛況です。又、すみ博の時には、数千年の歴史ある住吉大社の太鼓橋の前で踊らせて頂き、感慨無量でした。帝塚山、住吉は私にとって何があっても外せない場所です。
― 今の市川さんにとっては、帝塚山はどんなまちですか?
土地の温かさがあると思います。その温かさが残っているから、残していきたいし、皆さん、努力をしていると思います。歴史があるものが点在していて、今の世の中の荒波のなかで新しくなっていてはいても、雰囲気を壊さない努力をしていると思います。雰囲気、土地の空気感を愛して、大切に思っています。住吉大社、万代池、住吉公園もありますね。活性化もしていかないといけないですね。商店街もですね。粉浜商店街でスペインフェアにも参加したこともあります。私は自転車で商店街をうろつくのも好きです。商店の個性や歴史を感じます。手作りのお豆腐もあるし(笑)。食の面でも大阪が大好きです。
― 自転車で商店街に行かれるんですね。商店街のアイドルでもありますね(笑)。
そうでしょうか(笑)
― 地元での舞台も多いのでしょうか?
地元だけでなく、いろんなところで舞台に立っています。住吉大社(の反り橋前)で踊った時は、地元の方が喜んでいただけました。野外でやると普段見られない人も見られますから。フラメンコはまだまだ知られていないので、一人でも多くの人にフラメンコの魅力を知ってもらいたいのです。フラメンコから得る感動を知っていただくために。フラメンコってなんかいいもんだなぁと思ってほしいですね。
育んでいくべき文化とは?
-帝塚山が、住吉が、大阪が、育む文化とはなんだと思われますか?
歴史や伝統を感じ大切にして、いかに次につなげていくか、次に進んでいくかだと思います。自分の踊りもそうですが、今までの蓄積、その価値を重んじながら、自分も進化していきたいのです。積み重ねたものには価値があります。今の時代の変わり目を、受け入れ取り入れる能力を持たないとならないと思うし、進化しているからこそ、見失ってしまいそうな本質を見失うことなく独自性を守っていくことが大切だと思います。
それぞれが何をこだわるかですね。私も自分の根っこがここにあって、それが大切であるということを知って頂きたい。そういう気持ちを込めて「帝塚山スタジオ」と名づけたのです。
市川さん、ありがとうございました。
市川 惠子(いちかわ けいこ)
1970年よりモダンダンスを始め、その後フラメンコに転向。スペインに渡り帰国後、1988年「帝塚山スタジオ」をオープン。日本フラメンコ協会理事。
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- 再発見!すみよし文化レポート まとめ
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