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再発見!すみよし文化レポート その7

2024年3月19日

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再発見!すみよし文化レポート その7 長居バル主催者 堀後樹代志(ほりご きよし)さん

住吉区で文化的・歴史的活動をされている個人や団体に活動内容や住吉の魅力についてお話を聞いていきます。

 

繋がってつくる、長居バル 長居バル主催者 堀後樹代志さん

 住吉区長居のOSAKA 酒場 あじひとオーナー 堀後樹代志(ほりごきよし)さんは、自身の飲食店を経営するかたわら、大阪市営地下鉄長居駅・JR長居駅周辺で開催される「長居バル」や、長居公園や千日前味園ビルなどで開催される「オオサカガーデン」など、食に関わるイベントを主催されています。「長居バル」を開催することとなったきっかけや、人気イベントの主催者として、今、考えていることをお伺いしました。

プールから居酒屋へ

―堀後さんはずっと飲食業をされてきたんですか?

 もともとは、水泳のインストラクターをしていました。学生時代のアルバイトから数えると4年間していました。住吉スポーツセンターのオープンスタッフだったんですよ。独立して自分たちで仕事がしたかったんで、仲間と3人で始めました。もともと3人で音楽イベントをやっていたんで、これでメシを喰っていきたいなあ、と思って飲食店をやろうと思いました。どちらかというと、料理より音楽重視でした。拠点が欲しかったんですね。人もいるしやっていけるだろう、と。

 

―なぜ、飲食店をしようと思ったんですか?

 僕たちにとって、居酒屋が一番身近だったんです(笑い)。僕はインストラクターを辞めてから5か月ほど、他の2人は1年間ほど修行をして、今の店、OSAKA 酒場 あじひとを開店しました。それまでは、3人とも飲食業の経験はありませんでした。経験がなかったので、お金を借りるのも苦労しましたね。お金がないので、居抜き物件を探しました。どこでもよかったんです。藤井寺や八尾など、他の地域でも探しました。店のサイズや他の条件を考えて、ちょうどいい物件だったので、この場所に来ました。開店して2年間はしんどかったですね。でも、2年間で借金を返しました。ふつうは7~8年かけて返すそうなんですが。

歩いて行ける飲み屋がある、長居

―開店してみて、長居はどんなまちだと思いましたか?

 もともと、平野区に住んでいたんですが、長居のあたりはよく知らなかったです。長居ってもう少し都会だと思ってました。開店したときは、よくわかってなかったですね。長居は普通の住宅地ですよね。でも、歩いて行ける飲み屋があることを考えると、都会かな?とも思います。

 

―お客様はどんな方が多いですか?

 地元の人が多いです。みなさん、「何中出身?俺、大領中!」とか「我孫子中の○○知ってる?」なんて会話をされます(笑い)。年配の方も地元アピールをされますね。地元で飲んでる人が多いなあ、と思います。開店してから衝撃だったのは「何中(学校卒業)?」って聞かれることでした(笑い)。自分がお客様として行っていたお店ではそんな会話がなかったんで。

 

―かなり地元に根付いたお店ですね。もともと長居にはあまりなじみがなかったと思いますが、開店してから苦労はありましたか?

 地元のことがわからないのは、つまらないと思いました。「あびなん(注釈)?何それ?」という感じでした。今ふりかえると、知っておくべきだったと思います。当時はそこに価値があるとはわからなかったです。お客様も会話が続かないと、つまらないですからね。結構、地元のたて繋がりが強いお店も多いんです。お客様の3分の1が○○中出身者、とか。よく、OSAKA 酒場 あじひとは、キタ向きの店だと言われます。自分が行っていた店に憧れて飲食店を始めたんですが、あるとき、変わったんです。

(注釈)あびなん 我孫子南の略称

長居バルを始めるきっかけ

―変わったきっかけはなんでしょうか?

 そうですね。開店したころは世界が狭かったんだと思います。変わったのは、この5年ぐらいです。きっかけは、一つは、店の運営が軌道に乗って、スタッフに任せられるようになって、僕が外に出られるようになったことが大きいです。もう一つは、それまで2カ月に一回開催していた音楽イベントを、限界を感じていったん辞めたことです。時間ができたんです。お客様に長居在住の大阪市立大学の学生さんがいて、2年半前ぐらいに、学生主催の防災フォーラムに誘われました。そのとき、いろんな市大生や前住吉区長と同じテーブルになり、知り合いました。

 

―長居バルはどんなきっかけで始めたんですか?

 あるとき、前住吉区長が出席していたラウンドテーブルに僕もいて、そこで前住吉区長がバルの話をされていました。そのときに「長居でもできるんじゃない?」と言われて、長居バルをやることになりました。

 

―長居バルを開催することになって、周囲のお店の反応はいかがでしたか?

 まずは長居の飲食店さんに相談しました。「おもしろい!」と言ってくれるお店もありましたし、のってくれるお店が多かったです。もともと知っていたお店が半分、はじめて知り合ったお店が半分。名前や連絡先を知って仲良くなりました。「あのマスターおもしろい!いいひと!」って感じでお店の人に会いに行くようになりました。

繋がってつくる、長居バル


長居バルの様子です。

―長居バルを開催することで、堀後さん自身がいろんなお店との繋がりができたんですか?

 もともとは、長居よりも西田辺、心斎橋に仲のいいお店が多かったんです。お店を始めるまで、長居には関わることがなかったんで、よく知らなかったんです。長居バルがきっかけで、長居に関心が向くようになりました。価値観が変わりました。

 

―長居バルのボランティアスタッフさんとの繋がりはいかがですか?

 お店のお客様でもある市大生に誘われた防災フォーラムで、他の市大生とも知り合いました。そこには、サークルを立ち上げた学生や代表の学生がいて、サークル活動に一生懸命な学生が多かったです。長居バルを始めるときには、手伝ってほしいと話したら、快く参加してくれました。

 

―お客様との繋がりはどうですか?

 長居バルで来店したお客様が、またお店に来られますよね。そのお客様は必ず「前に長居バルで来たんです」と言ってくれます。通常営業している時のお客様は、あまりそういうことをおっしゃらないので、お店の、特に料理人のスタッフは、「お客様がまた来店してくれた」という実感が持ちにくいんです。でも、バルのお客様は言ってくれます。お客様も「バルで来ました」って言いやすいようですね。

 

―長居バルがコミュニケーションのきっかけになっているんでしょうか?

 店員も、お客様に話しかけていいか迷うんですよね。バルのようなイベントだと、どちらかというとコミュケーションをとりたいお客様が多いですし、「長居バル」を共通の話題にできますね。長居バルのお客様は年齢層が広く、年配の方も多いです。あるとき、立ち飲み屋さんに長居バルの打合せで訪問したとき、そこに居合わせた年配のお客様に、「長居バルか?」と声をかけられました。これは音楽イベントではなかなかないですよね。飲食の力は大きいです。世代差を軽く超えていきます。

 

―いろんな繋がりでバルが開催されているんですね。次の長居バルはいつですか?

 第4回長居バルは5月10日(土曜日)13時から20時です。お店の数も20店舗に絞りました。いろいろと形を変えて、しっくりくるところを探しているところです。

 

―長居バルを開催するうえで、ご苦労はないんですか?

 主催者側には、金銭的なリスクが高いことですね。

 

―なぜ、リスクが高いのにされるんでしょうか?

 僕自身は、違うメリットを見出しています。市大生や他のお店の店長と出会えました。それは僕にとってはすごく大きいことなんです。魅力的な人にも出会えるので、飲食以外の仕事にも活かせています。

 

―長居バルは長居にどんな影響をもたらしていると思いますか?

 まず、長居バルというイベントをやることで活性化できていると思います。長居バルが共通の話題になって、繋がりが出来ているとも思います。他のまちはもっと、盛り上がりも繋がりもないと聞きます。他の市や町の人からは長居バルは成功していると羨ましがられます。外から言われるということはすごいことだと思います。なかには、そのすごさを分って頂けない方もいらっしゃるかも知れません…。確かに、1日のイベントだけで、店自体の売り上げを直接的に支えることはできません。長居バルを始めたころから、参加店舗の中だけでも、4店閉店しています。厳しいです。

「長居」に飲みにきてほしい

―最近は、お店にとっては厳しい状況ではありますね。

 7年前ぐらいから、法の規制が厳しくなったこともあって、都心部よりも、地元で飲む人が増えたと思います。雑誌も各エリアを取り上げるようになりました。お店に行くというよりもそのエリアに行くといった人が多いと思います。

 

―個々のお店に行くというよりも、そのエリアに行くということですか?

 あるひとつの店に来店したとしても、2軒目の店が近くにないと、そのエリアに飲みに来る人は減ると思います。2軒目、3軒目、とよいお店があった方が、人を連れてきやすいですよね。お店って飽きられるものですから、お互いにフォローした方がいい。ひとつの店で表現できることには限界があります。長居というエリア全体で考えた方がいい。天王寺、難波、梅田などの大きい街なら、行ったお店が満席でも、隣の店に行けばいいと思いますが…。自分の店が満席の時は、他の店を案内して、長居としてお客様を逃すことがないようにしたいです。長居バルを始めてからは、他のお店のことを知ったので、それができるようになりました。

長居バル、長居のこれからは?

―しっくりくるところを探している、とおっしゃいましたが、長居バルはどうなっていくと思いますか?

 第4回長居バルのように、時間も店舗数も搾って参加店舗にも無理のないように開催するか、飲食にこだわらずジャンルを超えて広げていくか、いろいろ考えています。今は、いろんなお店の情報が載っているインターネットサイトができています。そういうものを見ると、長居バルはどう変わっていけばいいかな、と考えています。世の中はどんどん次に行っています。雑誌も変わっていくし、インターネットサイトも変わっていく。お店を知る機会はインターネット上でもありますし、「リスクを背負ってバルをわざわざやる意味はなんだろう?」と考えることもあります。「長居バルをやりたい!」という人がいれば、その人に任せるのもいいとも思います。

 

―長居バルを辞めることも考えているんですか?

 長居バルは、まだまだ価値も可能性もあると思うので、続けていきたいです。ただ、時代とともに形は変化させていかないといけないとは思います。他のイベントと連携するのか、ガラッと形を変えるのかは、またまだ考えて行かないといけない事ですね。もっと一緒に何かをやろうという人たちが自分から声を掛けてくれるといいですね。もっとうまく長居バルを利用してほしいです。

 

―どんな長居、住吉になったらいいと思いますか?

 誰かが何かをするときに、みんなが応援できればいいと思います。残念だけれど、今はなかなかそこまではいけていないと思います。年配の人が一人でごみを拾っている姿を見かけたりすると、地域の繋がりってどうなっているのかな?とも思います。

 

―堀後さん自身は、今後何かやりたいことがあるんですか?

 今年でお店が開店して10年になるので、今のお店の改装や、2号店の出店も目指しています。美容室をやりたいとも思いますし、色々やりたいことはあるのですが、今は次の10年に向けて勉強する期間だと思っていて、勉強する時間を多く取っています。イベントの方もお陰様で他からも声を掛けていただいているので、長居以外の地域でも仕掛けてみたいな、と思っています。基本的に人が好きなので、人に喜んでいただける事なら、お店でもイベントでもどちらに進んで行ってもいいな、と思っています。もっと色んな仕事をして、これからもおもしろい人たちに、たくさん出会いたいです。モチベーションの高い人たちともっと一緒にやっていきたいし、人に求められる仕事をしていきたいです。


長居バル主催者 堀後樹代志さん

堀後 樹代志(ほりご きよし)

昭和54年9月20日生まれ
大阪社会体育専門学校卒業
水泳インストラクターとして約4年間勤めたのち、梅田にある居酒屋で5ヶ月間修業をし、
24歳のときに長居に『OSAKA酒場あじひと』を開業し、独立する。
天王寺~我孫子の飲食店を掲載したフリーペーパー『DOORS』の発行(現在は休刊)、音楽イベント『NUTTY PARK』、食べ飲み歩きイベント『長居バル』、野外FOODイベント『OSAKAGARDEN』などを主催する。

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