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再発見!すみよし文化レポート その16

2024年3月19日

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再発見!すみよし文化レポート その16  帝塚山音楽祭実行委員会実行委員長 橋本秀信(はしもとひでのぶ)さん

住吉区で文化的・歴史的活動をされている個人や団体に活動内容や住吉の魅力についてお話を聞いていきます。

 

帝塚山音楽祭、優しいまちへのきっかけのひとつに 帝塚山音楽祭実行委員会実行委員長 橋本秀信さん

 帝塚山周辺は静かな住宅地である一方、かつては大学や短期大学が集まるにぎやかな学生街としての一面も持っていましたが、大学や短期大学の移転に伴い、学生の姿は消えてしまいました。そんな状況を見て、帝塚山の街おこしを目的に、阿倍野区・住吉区にまたがる帝塚山地区のお店の経営者の方々が中心となって立ち上がり、昭和62年11月7日・8日に第1回帝塚山音楽祭が開催されました。今では帝塚山の毎年恒例のイベントとして定着し、今年(平成27年)は第29回の帝塚山音楽祭が開催されます。帝塚山音楽祭への思い、音楽祭を開催する意味、帝塚山というまちへの気持ちなどを、帝塚山音楽祭実行委員会委員長橋本秀信(はしもとひでのぶ)さんにお伺いしました。

帝塚山音楽祭の様子です。

第29回帝塚山音楽祭は2015年 5月30日(土曜日)・31日(日曜日)です。

だまされて始めた?実行委員会活動

―まずは、橋本さんが帝塚山音楽祭に関わったきっかけを教えてください。

 2000年9月23日にお店(眼鏡専門店「帝塚山HOW」)を大阪市阿倍野区帝塚山にオープンしました。オープンして2,3日後に一人のお客様が来られました。その方が眼鏡好きのビオラ奏者で、とても話が盛り上がって、「こんな店で眼鏡に囲まれて演奏したい」と言われました。それで、「いつかお店でビオラのイベントをしたい」と思っていました。ある時、市川さん(現・帝塚山音楽祭実行委員会事務局長)がふらりとお店にやってきて、「帝塚山音楽祭に参加しませんか?」と声をかけられました。帝塚山音楽祭には「ライブストリート」というお店を会場にコンサートを開催する企画があります。ライブストリートの話を聞いて「そのひとつとして、ビオラのイベントをやればいい!」と考えて、ライブストリート会場のひとつとして、参加しました。ノリでやってしまいました(笑い)。イベントをやってみて、おもろいなあと思いました。音楽祭以外にも、9月には毎年周年コンサートを、うちのお店でしています。

 

―事務局長の市川さんとは、それまでにも面識があったんでしょうか?

 いえ、初対面でした。僕もそうですが、市川さんは常に音楽祭に関わる人材やお店を探して声をかけています。新しいお店ができたら「参加しませんか?」と声をかけにいきます。うちのお店も、そのひとつだったんです。

 

―なるほど。初めは会場のひとつとして参加したんですね。橋本さんは、今では実行委員長をされていますが、実行委員会に入ったきっかけは何ですか?

 市川さんにだまされたんです(笑い)。初めに参加した年の、翌年の音楽祭の準備の時期に、市川さんに「ちょっと実行委員会に遊びに来てみませんか?」と言われて。今考えたら行かんといたら良かった(笑い)。初めはライブストリート担当になって。そのうち副委員長になって。音楽祭に関わってから帝塚山まつり(注意1)にも関わりだしました。市川さんをきっかけに、どんどん深いところにはめられていってます(笑い)。

 

注意1 毎年夏休み前後に帝塚山近辺で開催されるお祭り。

 

 

 


帝塚山音楽祭実行委員会実行委員長橋本秀信さん。眼鏡専門店「帝塚山HOW」の店主でもあります。


橋本さんのお店には、こだわりの眼鏡が並びます。

「やってしまう」人がいっぱいいる、帝塚山

―帝塚山音楽祭や帝塚山まつりに関わる前にも、ご自身でイベントを開催したり、地域の活動に参加したりされていたんでしょうか?

 いえ。それまでは、イベント開催や地域の活動は全くしていませんでした。音楽もそれほど好きではなかったんです。僕は、自分自身では、リーダーに向いているタイプではないと思っています。市川さんは話が長いし細かいしうるさいけど、音楽祭を作っているのは、実行委員や事務局長の市川さんで、僕は、代表として責任を担っているだけです。

 

―橋本さんと市川さん。それぞれの役割があって、信頼しあっているように見えます。

 市川さんには感謝しています。音楽祭に関わって本当に、おもしろかった。腹が立つこともあるけれど、音楽祭に関わったおかげで、いろんな人と知り合えました。人って本質的な性格や考え方ってそうは変わらないと思いますが、音楽祭や帝塚山まつりを作ってきた、熱い思いを持った方と話をさせてもらったら、「そういう感情を持って、そんなことをする人がこのまちにはいるんだ!」と驚きました。

 

―「そういう感情」や「そんなこと」ってどういうものですか?

 例えば、帝塚山まつりを作ってきた方が、なぜ帝塚山まつりを始めたかというと、「帝塚山には子どもの為の祭りがないから」というのが理由なんです。「ないなら自分で作ったらいい!」という発想は、自分にはありませんでした。普通に働いているだけでは出会わないような、「やってしまう」人が、このまちにはいっぱいいます。そんな人たちには、今まで出会ったことがありませんでした。

 

―帝塚山周辺には、そんな、「やってしまう」人がたくさんいらっしゃるんですね。

 はい。初めに音楽祭を始めた方々も、街おこしの為に音楽祭を始めました。帝塚山街づくり交流会、帝塚山まつり実行委員会、帝塚山カップ実行委員会、帝塚山音楽祭実行委員会、と、帝塚山というまちについて、いろんなことを考えて、考えたことを実行・実現させる力と情熱がある人がたくさんいます。多すぎる!

 

―多すぎるんですか(笑い)。とにかく、まちのことを考えて、考えるだけじゃなく実行する人が多い。人材が豊富なんですね。

 本当にいっぱいいますよ。音楽祭にも帝塚山まつりにもみなさん関わっています。本当に、ええまちやなあ、と思います。帝塚山は阿倍野区と住吉区とにまたがっていて、何となくある文化圏というか。それがええな、と思います。

帝塚山音楽祭の様子です。音楽イベントのほかバザーも開催されます。

第29回帝塚山音楽祭は2015年 5月30日(土曜日)・31日(日曜日)です。

続けることと、変わること

―そんな帝塚山で開催される帝塚山音楽祭も、今年で29回目を迎えます。しっかりした運営をされているな、と感じているのですが、運営上の課題などはあるのでしょうか。

 ありますよ。代替わりはしたいと思っています。僕自身、実行委員長は2~3年間ほどやるつもりだったのに、次の人がいなくて、なかなか難しいです。もっと若い人にしてほしいですね。実行委員長も含め、若い人がやった方がいい。おっさんになると新しい発想ができんようになるでしょう。ずっとやってきたこと、今やっていることを継続するだけでいっぱいいっぱいです。全然違う新しい発想を持ってやってほしいですね。若い人に入ってきてほしいです。僕も含めて年取った連中は要らないかな(笑い)。

 

―そうは言いながらも、初期の方々や現在の実行委員の方々が築いてきたことも多いのではないでしょうか?

 もちろんです。今までの実行委員が、企業やメディアの方々と築いてきた信頼関係もあります。実行委員の中には、音楽祭が生きがいになっている人もいるかもしれません。僕は、音楽祭はもっと良くなる可能性があると思っています。もっと良くしようと思うと、変えないといけないんです。そのためにはいろんな人に関わってもらわないといけないのですが、うまく発信ができていないな、と思います。会議の日程を決めるにしても、いろんな人が、もっと参加しやすい曜日や時間で設定していかないと、とも思います。古くからがんばっている人がいないと大変ですが、新しく関わる人がいないと変わらないんです。

 

―なるほど。続けることと変わっていくことと、どちらも大切なんですね。音楽祭を良くすること、続けていくことに対して、橋本さんはどんな意味があると思いますか?

 音楽祭は街おこしから始まっています。今でもそうです。商売人にとっては商売がうまくいくこと、住人にとっては安心なまち。それを目指しています。

音楽祭がきっかけのひとつになればうれしい

―音楽祭によって安心なまちになるというのは、どういう意味ですか?

 例えば、今は、隣近所でもあまり挨拶をしません。マンションがたくさん建ち、新しい住人も増えました。住人同士の繋がりが希薄だと思います。でも、音楽祭では、普段は顔見知り程度の人同士でも話をして仲良くなれます。たまに見かける人に対しても、「意外にもこんなマニアックな音楽が好きなのか」とか、「自分と音楽の趣味が合いそうだ」とか、親しみがわきます。音楽祭は子どもも年配の方もみんなで楽しめるので、普段よく見かけるお子さんと、ちょっと顔見知りのおばあさんが、実は孫と祖母の関係だったと音楽祭で気づくとか、世代やいろんな壁を越えて音楽祭をきっかけに話をすることもできます。音楽祭で少しでも話したことがあったら、音楽祭が終わった後でも、次に会ったら、「こんにちは!」くらいは、お互いに言うでしょう。そういうことが、まちのあちらこちらで起こっていけばいいと思います。まちに、人の目があると違います。知っている人には声かけしますよね。年配の方がひったくりに狙われないかとか、不審な人がいないかとか。防犯にもつながると思います。音楽祭があって、商売が成り立って、住人の安全が確保される。そのきっかけ、ツールのひとつとして、音楽祭があればうれしいです。ずっと住んでいる人も、新しく住み始めた人も一緒に楽しんでほしいです。

 

―長く続いている帝塚山音楽祭ですが、今後はどんな音楽祭になってほしいでしょうか?

 音楽祭で自転車整理をしてくれるボランティアの若い人たちが、音楽祭に来られる年配の方々に対して、「階段の上り下りは大丈夫かな?手を貸そうかな」とか、ちょっとしたことでもいいので、自分のおじいちゃんおばあちゃんだけにではなく、他の年配の方にも優しくなれるようになってほしいです。また、ボランティアには年配の方もおられるので、普段はなかなか若い人たちとは関わる機会がなくても、音楽祭を通して若い人と関わっていただきたいです。いろんな人と出会って関わる、いろんなきっかけになる音楽祭でありたいと思います。そうすれば、お年寄りにも住みやすい優しいまちになると思います。

 

―帝塚山というまちは、どんなまちになってほしいと思いますか?

 音楽祭のときには、会場となる万代池公園は人でいっぱいになります。帝塚山というまちにも、もっと人を集めないといけないと思っています。最近は、お店が無くなっていくことも多いです。もっと人が集まるまちになってほしいです。

 

―本当によく、帝塚山というまちのことを考えておられますね。

 人は人で変わります。人が変えたんだと思います。

 

橋本さん、ありがとうございました。

橋本秀信(はしもと ひでのぶ)さん
眼鏡の仕事について今年で26年です。
自分が音楽をしたいために2004年12月にGLASKIN JAZZ ORCHESTRA(グラスキン ジャズ オーケストラ)を結成。
42歳にして始めて楽器の練習を始める。パートはトランペット。
愛車はトライアンフ ストリートトリプル675。
第21~29回帝塚山音楽祭実行委員会 実行委員長。


お店にはカエルグッズがたくさん。


眼鏡と一緒にカエルもディスプレイされています。

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