再発見!すみよし文化レポート その17
2016年4月30日
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再発見!すみよし文化レポート その17 朝日温泉 田丸正高(たまる まさたか)さん
住吉区で文化的・歴史的活動をされている個人や団体に活動内容や住吉の魅力についてお話を聞いていきます。
地域の社交場!ラテンも聞ける朝日温泉 田丸正高さん
2015年4月29日に開催されたヒトリバンケット&朝日温泉プレゼンツ!~銭湯へ行こうvol.4~の様子です。
改装がきっかけで始まった風呂屋のライブ
―田丸さんはまだまだお若いですが、学校を卒業してすぐにお風呂屋さんになったんでしょうか?
田丸さん いえ。僕は、高校を卒業してから、5年間いろんな仕事をして、23歳から家業を手伝い始めました。3年後の8年前に改装して、その後、母が亡くなって、親父(先代店主治三郎さん)は一度風呂屋を辞めると言っていました。僕は他の仕事をしながら風呂屋も手伝っていました。親父は50代後半だったので、その時は、あと5年間だけ風呂屋を続けるつもりでした。
―いろいろご苦労があったんですね。そんな中で、なぜ、お風呂屋さんで音楽イベントをやろうと思われたんでしょうか?
田丸さん 居酒屋さんがお店でライブやイベントをしているのを見て、うちでもやってみたいな、と思っていました。改装をして広くなったので、フロントにスペースが出来たことと、たまたま、親父がパーカッションをやっていたので、プロやアマのミュージシャンに来てもらうだけではなくって、親父も混ざって一緒に演奏させてもらったら、おもろいかな?と思って始めました(笑い)。来てくれたミュージシャンの方々も、おもしろがってくれて、「また、やろーや!」って言ってくれて、今も続いています。
治三郎さん 改装してなかったら、イベントはやっていませんでした。このスペースで何かができる。音楽が出来る。自分たちで楽しみながら出来る何かをやりたいと思いました。
―改装がきっかけのひとつでもあるんですね。
田丸さん そうですね。改装するまでは、本当に暇な風呂屋でした。どんどんお客さんも減ってきて、そのころは風呂屋をやっていても、おもしろくなかったです。でも、改装して番台をフロントに替えたり、時代に合わせて、やりようによってはできるんだと思いました。「何の根拠もないができる!」と思いました(笑い)。親父からも、周りの人からも、反対はありましたが、廃業した風呂屋の人たちにいろいろ聞いたり、月々の経費を考えたり、「1日にお客さんが何人入らなあかんかな」と計算したり、どれぐらい借金するかも考えたりしていたら、やっていけそうな計算結果になったんです。「やったらいけるんじゃないかな?」と思って(笑い)。親父もとうとう折れて、4か月かけて全面改装しました。
―なるほど。一大決心ですね。改装したことでイベントもやる様になったということですが、お風呂屋さんならではの、イベントをやる時の苦労などはありますか?
田丸さん 初めはフロントでライブをやっていたんですが、折角風呂屋でやるのなら、風呂場でライブをやりたいなと思っていたら、ミュージシャンの方々も「いいよ」と言ってくれて、風呂場でライブをやるようになりました。イベントの前日は、風呂場の湿気を抜くのも結構大変です。イベント当日は風呂屋の営業前にイベントをやるので、ライブをやって、撤収して、開店して、と慌ただしいです。いままで開催されたライブの写真を前に説明する田丸さん。ラテン音楽を中心にいろんなライブを開催してきたとのこと。
2012年11月3日に開催された、キューバ音楽ライブDos sones de corasones(ドスソネス・デ・コラソネス)の様子です。
風呂屋になるもんやと思っていました
―子どものころから、お風呂屋さんになろうと思っていたんでしょうか?
田丸さん 子どものころは、家族には「継いだらあかん」と言われていました。時代がこういう時代ですから、風呂屋も激減しているし、「いまさら風呂屋はない!」と言われながら大きくなりました。でも、小学校の卒業文集には「風呂屋になりたい」と書いていました(笑い)。僕は風呂屋になるもんやと思っていました。
―実際にお風呂屋さんになってみて、いかがですか?
田丸さん 風呂屋は体を動かせるし、接客業だし、始めてから気づいたんですが、僕にとっては丁度いいバランスの仕事です。毎日11時に起きて、釜に火を入れて、水風呂を冷やして、と一連の準備をします。一度2階の自宅に戻ってご飯を食べて、午後1時45分に開店して、夕方の5時に薪割りをして、姉やパートさんと交代して、休憩して、午後7時から9時まで店番をして、夜の9時から12時までは掃除をしたり釜の様子を見たり。そんな毎日です。ただ、同世代の風呂屋がいないので、同じ目線で仕事の話がしたいなとは思います。僕のすぐ上の先輩は50代後半だったりしますし。年上の方は説教好きですし(笑い)。
治三郎さん 私のときは風呂屋も多かったので、同世代の風呂屋とのつきあいがありました。逆に、風呂屋以外の人とは関わりが少なくなるんですがね。
田丸さん また、そんな暗い話をして(笑い)!僕は趣味がライブに行くことぐらいなんですが、今度はこんな人にイベントに来てもらおうかなと考えたり、イベントのためにリサーチに出かけたりしています。風呂屋のことだけでなく、自分からいろんなことに関わっていかないと、つながりが無くなるなと思っています。
写真左から田丸正高さん、先代店主の治三郎さん、姉の直美さん
駄菓子がたくさん並ぶフロントに立つ治三郎さん
基盤があるからこその勝算
―ところで、薪の話が出ましたが、薪を使うお風呂屋さんって一般的なんでしょうか?
田丸さん 今は随分減っています。重油や廃油を使うとコストもかかりますし、うちは薪を使っています。解体屋さんから薪用の材木を買って、薪を割って釜を焚いています。薪で沸かすお風呂はぬくもる気がします。油で沸かすお風呂はボタンひとつで30分で沸かせますが、薪で沸かすと1時間30分かかります。薪で沸かすと悪い煙は出ないし、化学物質は出ないし、ある意味「エコ」ですね。薪割りは大変です。だいたい3,4時間が限度です。
―なかなか大変なお風呂屋さんのお仕事ですが、「やりたい!」という気持ちはどこから来ているんでしょうか。
田丸さん 「絶対やれる!」という勢いです。自分は他の人とは違うことができるんじゃないかな、という自信があります。口で伝えるのはなかなか難しいんですが、僕は子どものころから風呂屋の仕事を散々手伝ってきましたから、ビジョンを描きやすかったんです。ライブをやって常連さん以外のプラスアルファのお客さんを呼べるかどうかは自信がなかったです。でも、うちは今年で風呂屋を開業して55年目です。場所も悪いのに、今まで続いているのは、ずーっとやってきているからです。うちは地域に密着していて、元々の基盤があります。昔から引き続き来てくれている、僕が生まれる前からのお客さんもいます。風呂屋は忘れられているように見えますが、風呂屋に根付いてくれている人もいます。やりようによっては、忘れられた銭湯にも、客層が替わって若い人が来ることもある。それにどう対応するか、どう接客するか、どう勝算があるかと考えます。現在は、銭湯は新規参入が難しいと言われるほど厳しい状況でもありますが、まだまだ面白いことが出来ると思っています。
―イベントを始めて客層は替わったんでしょうか?
田丸さん 初めは常連のお客さんに対して、風呂のついでにライブを見るという非日常を楽しんでくれたらいいと思って始めたんです。と言いつつも、音楽のジャンルはラテンなんですが(笑い)。本当は演歌とか歌謡曲をやればいいんだと思います(笑い)。常連のお客さんにしたら「またやってるわ」って感じですね。僕たちも、興味があったら見てもらおう、ぐらいに思っています。次に、遠くから来る人を対象にイベントをすることを考えました。ライブをきっかけに風呂に入って、銭湯っていいな、自分の地元の銭湯に行こうかなって思ってもらえればいいなと思います。銭湯って何かきっかけがあって入ったら盛り上がる可能性があると思います。実際には、ライブを見てお風呂に入る人は半分いるかいないか(笑い)。難しいですね。今後は地元の人ともっと絡みたいですね。地元の人とだと広がりやすいというか、遠くに住んでいる人だけを対象にすると、遠すぎてイベントが浸透しにくいような気がします。やり方もその時々で少しずつ変えていきたいと思います。「ライブにお風呂」でも「お風呂にライブ」でもどっちでもいいんですが、母体はお風呂ですから、ライブで儲けてどうこうと考えてはいません。赤字にならなきゃいいかなぐらいに考えています。
薪割りをする田丸さん(朝日温泉ホームページより)
地域の社交場としての風呂屋
―お風呂屋さんと床屋さんは昔から地域のひとたちの社交の場でもあったと思いますが、お風呂屋さんを通じて出来る人づきあいやつながりってあると思いますか?
田丸さん 同じ時間帯に来るおっちゃん同士が仲良くしゃべっていたり、昔の同級生の付き合いが垣間見えたりとか、ありますね。そうそう、お客さんに「同窓会の案内チラシを貼ってほしい」と頼まれて、チラシを貼っていたら、それを見た別のお客さんが、お子さんに同窓会があることを伝えて、うちに貼ったチラシを通して、なかなか連絡先がわからなかった同級生に会えた、ということもありました。
―それはすごい風呂屋ネットワークですね。銭湯と言えばマナーも大事かと思いますが、お客さんにマナーについて注意することもあるんですか?
田丸さん 結構注意しますよ。「かかり湯をして」とか「風呂にタオルつけるな」とか「風呂に髪つけるな」とか「ボトボトに濡れたまま上がって来るな」とかいろいろ言いたいんですが(笑い)。本当は親が子にマナーを教えてほしいんですが、親が出来ていないことも多いです。子どもに注意して、親の方を見ると「おまえもかっ!」と思うこともあります(笑い)。嫌われても仕方ないと思いますが、僕に注意された子どもが、大きくなったら「ここでよう怒られたな」とか思うだろうし、怒られたことを覚えていて、自分の子どもにはちゃんと教えるだろうし。僕はお客さんにもズバズバ言います。僕がマナーを注意することで、他のお客さんが安心します。口うるさいやつだと思われたとしても、次にまた来てくれているなら、口うるさくすることにも意味があると思います。学校に行って小学校低学年の子どもに講義したいくらいです。子どものころから育てて行かないと。学校に行って「1時間ください!」って言って子どもたちに話したいです(笑い)。
―お風呂マナー講義、おもしろそうですね。田丸さんはいろんなアイデアをお持ちのようですが、今後の朝日温泉さんはどんなことをやっていきたいですか?
田丸さん 今、うちでやっているライブは完成形に近いので、みんなの憩いの場になるようなこと、お年寄りが日曜日の昼に一発芸披露会をやるとか、やってみたいですね。(笑い)ライブはあくまでもそのうちの1つで、もっといろんなイベントをやりたいですね。いつもアンテナを張っていたいです。うちは町会とのつながりも深いので、場所を使ってもらったりしてもいいと思います。場所があってこそ人が集まるので。いろんなやり方が出来ると思います。
―では、お風呂屋さんから見た住吉のまちは、今後どんなまちになっていけばいいと思いますか?
田丸さん ここは下町の雰囲気もあって、人柄もいいし、子どもも多いし、いいところだと思います。のんびりしたところってイメージ。喧騒もないし。昔は町会の大々的な運動会とかおもしろいことが多かったです。顔を合わす機会も多かったです。
直美さん 住吉は今のままがいいかな。みんなが集まる場所があって「こんにちは!」って言い合えるような地域密着のコミュニケーションって他にはあまりないと思います。そんな地域のコミュニケーションが続けばいいと思います。
治三郎さん 私は結構満足していますね。住宅地がほとんどですが、歴史的な場所もあるし、飲食店が多いにぎやかなところもあるし。南住吉3丁目というところは子ども会で旅行したり、だんじりもあったり、昔から結束が強かったんです。子ども会、青年会、老人会、町会、とみんなの結束が強いんです。
―では、最後にこれだけは一言言っておきたい!ということはありますか?
田丸さん かかり湯はしてほしい!これです!
田丸さん、治三郎さん、直美さん、ありがとうございました。
常時70種類ぐらいの飲み物が揃っているのもお客さんに楽しんでほしいから、とのこと。
田丸正高(たまるまさたか)
1981年10月17日、朝日温泉の三代目として生まれる。
高校を卒業後、建築関係の仕事をしながら親の体調不良により朝日温泉の手伝いを始め、2004年より本格的に朝日温泉を手伝う。
2007年に店舗の全面改修をし、リニューアル後は、音楽、落語などのライブイベントを開催している。
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