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再発見!すみよし文化レポート その21

2024年3月19日

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再発見!すみよし文化レポート その21 菜の花を咲かそう会 吉田進(よしだすすむ)さん

住吉区で文化的・歴史的活動をされている個人や団体に活動内容や住吉の魅力についてお話を聞いていきます。

 

菜種油のまち遠里小野から火を灯す


灯火された石灯篭(すみ博2014)の様子です

 2014年10月に開催された「すみ博別ウィンドウで開く2014“すみよっさんの夕べ”」では、住吉大社にある71基の石灯篭に80年ぶりに火が灯りました。かつては有数の菜種油の産地であった遠里小野で行われていた、菜の花の栽培、菜種の収穫、菜種油搾り、住吉大社の石灯篭への灯火、といった歴史ある営みを再現する「菜の花を咲かそう会」。会の代表である吉田進さんに、普段の会の活動について、活動を通して見る遠里小野・住吉のまちへの思いをお伺いしました。

菜種油をきっかけに


油搾りについて説明する吉田さん

―まずは、会の発足について教えてください。

 「伝統野菜を育てる会」の方が、平成21年の秋ごろに、ご自宅で若菜(注意1)の種を見つけられました。その方が種を農業試験場に持ち込み、その種が発芽し、平成22年9月に住吉大社の禰宜さんたちが植えて育て始められました。その時に、禰宜さんから、遠里小野というまちが菜種に深く関係していたことを伺い、興味を持ち、平成23年7月に会を発足しました。会を立ち上げるときには、町会から募集チラシを配布していただき、50名ほどが集まっていただきました。当時は、地域のひとたちも、遠里小野がかつては菜種油の産地であったことをよく知らなかったようです。平成27年度現在は86名の会員が在籍しています。

 

注意1ここでは、アブラナの古来種のこと。

 

―なるほど。菜の花や菜種油をきっかけに、遠里小野のまちを元気しようと考えられたんですね。しかし、石灯篭の灯火までたどり着くのは、とても大変なことだったんではないでしょうか。

 そうですね。まず、石灯篭71基に火を灯すのには、大量の油が必要です。区内の4軒の農家にお願いして菜の花を栽培していただき、種を収穫しています。また、農芸高校からは油搾り器をお借りしていますし、農業の技術指導でもご協力いただいています。平成24年度に住吉区のアイデア募集に応募したことをきっかけに、ボランティアグループ「花さかすみちゃん」のみなさんと、種まきや間引きを協働しています。すみ博2014で石灯篭に灯火したときにも「花さかすみちゃん」のみなさんには、ご協力いただきました。また、昨年は4リットルの油が絞れました。菜種油の再利用方法のひとつとして、菜種油からキャンドルを作りました。こちらは大阪市立大学生活科学研究科のみなさんと一緒にやっています。イベントのお土産や子どもたちの教育に役立てないかと検討中です。今年のすみ博別ウィンドウで開く2015でも10月31日17時から18時まで、150基の石灯篭に灯火します。今年は遠里小野地域に住む陶芸家の方が作られた小皿を灯明皿にして、井草の灯心に火を灯します。

 

―今年の灯火も楽しみですね。普段は、会ではどんな活動をされていますか。

 普段は、菜種油のことを多くの方に知っていただくために、すみ博を始めとしたイベントやまち歩き、小学校の授業や子ども会の集まりなどで、油搾り体験を行っています。ひとくちに油搾りといっても、たくさんの菜種から、ほんの少ししか油はできません。昔のひとたちの苦労を知ってもらうのにもいい機会だと思っています。他には、熊野街道沿いを中心に菜種を配って、会員に植えてもらったりもしています。まだ点々とですが、春には街道沿いに菜の花が咲く様子が見られます。もっと会員が増えて、春には街道沿いが菜の花の黄色一色になればなあと思います。まち全体でバックアップしてもらって、点から線、面へと菜の花が広がればいいと思っています。住吉、あべの、大和川、と街道沿いを黄色く染めたいですね。(笑い)菜種は、古来種にこだわっています。古来種は他の菜の花と比べて葉の大きさや花の数、茎の様子が違います。栽培しているうちに交配が進んだり、古い種は発芽率が低いこともあり、若菜を育てている農家の方から古来種の種を分けてもらっています。


すみ博2014で、石灯篭灯火をするボランティアのみなさんの様子です。


油搾り実演中。写真は「菜の花を咲かそう会」の須原さん。

菜の花と誇りを育てる


平成27年6月に遠里小野会館で行われた油搾り体験の来場者に、菜種について説明する吉田さん。

―菜の花への思いがとても感じられます。吉田さんが活動する中で、他にこだわっておられるところはありますか。

 会を発足した当時は、町会活動もあまり活発ではなくなっていました。まちの活性化のために、何かやらないといけないと感じていました。菜の花や菜種油が、まちのひと同士の親睦を深めたり、知らないひと同士が触れ合ったりすることができるコミュニケーションの手段にならないかと考えました。4月になると、まちの中に菜の花が咲くことが定着していったり、菜種油に関するイベントを開催したりしていけば、いろんなひとがコミュニケーションの輪に参加するチャンスを作ることが出来るのでは、と考えました。

 

―菜の花や菜種油をきっかけにまちが活性化すればいいと思われたんでしょうか。

 はい。遠里小野の高齢化社会に何か貢献できないかと考えています。活気を戻さないといけないなと思います。遠里小野に住みながら遠里小野を知らないひともいます。余所から来たひとはもっと知らないでしょう。ずっと住んでいるひとも、余所から来たひとも、菜種を通じて「遠里小野ええとこやな」と思ってほしいですね。そうしたら、ずっと住んでるひとたちも気持ちいいでしょう。お互い近くに住んでいながら話したこともないひとと、菜の花や菜種油について話をして、ご近所同士が楽しくなるきっかけになることもあります。菜の花や菜種油が遠里小野を元気にする道具のひとつになると思います。ややもすると、遠里小野、住吉はおとなしいというか、少し保守的なところがあります。もう少し積極的にコミュニケーションをとって、みんながみんなのために動けるようになればいいですね。自分だけのため、というのは良くないですね。

 

―吉田さんご自身は「菜の花を咲かそう会」のほかに、ボランティアガイド団体「すみよし歴史案内人の会」別ウィンドウで開くでも活動されています。ボランティアガイドとして、遠里小野や住吉をどう見られていますか。

 60歳を過ぎてから歴史の勉強を始めて、初めは大阪城周辺について勉強していましたが、住吉のことを何も知らないと気づいて、住吉について勉強し始めました。そうすると、遠里小野について何も知らないと気づきました。遠里小野は、菜種油発祥の地と言っても過言ではない土地なのに、今の遠里小野には、菜の花の「菜」の字もないし、花自体もない。もったいない。遠里小野と菜種油の関わりをもっと広めたいと思って活動しています。私自身はやり出したら止まらないタイプです。上辺だけ見て走り出してから失敗だった、ということもあります。(笑い)何にでも興味を持っているので、1つにだけ凝り固まるのは苦手で、やりたいことはたくさんありますが、ひとつひとつも更に深めていきたいとも思います。菜の花にしろ、まち歩きにしろ、遠里小野にひとが来てほしいと思ってやっています。みんな少し保守的ですね。一歩前に出ることはあまりしませんね。一歩下がっている感じです。機関車のように引っ張っていくタイプのひとは少なく、数人が動いて、他のひとは決まったことに付いて行くようです。

 

―今後、遠里小野、住吉はどんなまちになってほしいですか。

 まち全体が和気あいあい楽しいことが住吉全体の目標だと思います。いろんな場面でコミュニケーションをとってほしいです。一部の人間が走っているのではダメです。遠里小野は菜種油や熊野街道、楠正成や後醍醐天皇にゆかりある場所など、素晴らしいところがたくさんあります。まちに誇りを持ち、その誇りを育てて生活していけば、まちもひとも、いきいきしてくるんではなないでしょうか。

 

吉田さん、ありがとうございました。


吉田進(よしだすすむ)
サラリーマン時代40年程は生産技術やコンピューターでのシステム開発に従事し、歴史や植物の栽培に全く興味を持たなかった。 定年後今までと異なる分野での知識を吸収し、いままであまり使っていなかった頭脳を活性化するために歴史に興味を持ち、最初に見たのが現在の大阪府警察本部の2003年の建て替えの際に発掘された堀跡で堀障子と呼ばれる堀底に造られた障子の桟のような土塁、堀のスケールの大きさに圧巻し、これで考古学に興味を持ち現在でも時間があれば近畿での発掘現場の現地説明会に参加している。 また、歴史や文化の幅を更に広めるためにボランティア「すみよし歴史案内人の会」に入り勉強するとともに、知った知識を住吉の魅力発信のためにまち歩きを精力的に取り組んでいる。菜の花を咲かそう会長、すみよし歴史案内人の会副代表、などを務める。
写真で吉田さんが手にしているのは、採取した菜種と、絞った菜種油。

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