ページの先頭です
メニューの終端です。

漫画「ブルーロック」の原作者 金城宗幸さんにインタビュー!(令和7年9月16日)

2025年12月1日

ページ番号:663951

金城宗幸さんが大正中央中学校を訪問

 令和7年9月16日(火曜日)に大正中央中学校で「大正中央Dream Project」が開催され、金城宗幸(かねしろむねゆき)さんをお招きしました。

大正中央Dream Projectとは

 大正中央中学校では、本物に触れる機会を作り、心に響く教育活動に取り組むことで、生徒の「生きる力・夢を見る力」を育成することを目的に「大正中央Dream Project」が実施されています。

 今回は、7月の“スポーツ編”に引き続き、“文化編”として、「ブルーロック」、「神さまの言うとおり」、「僕たちがやりました」、「ジャガーン」など数々のヒット作を生み出している漫画原作者の金城宗幸さんに講演していただきました。

※「大正中央Dream Project」の様子は大正中央中学校のホームページでもご覧いただけます。  

スポーツ編:7月9日(水曜日)

文化編:9月16日(火曜日)

金城宗幸さんについて

金城宗幸さん1

ご職業:漫画原作者
代表作:ブルーロック(現在連載中)
       神さまの言うとおり
      僕たちがやりました
      ジャガーン
      スーパーボールガールズ(現在連載中)
出身校:平尾小学校、大正中央中学校

漫画の道に進むことになったきっかけについて

区役所(以下:区):本日はお時間をいただきありがとうございます。この後、講演も控えていますので、早速インタビューを始めさせていただきます。
漫画家を志すきっかけは何ですか。

金城さん(以下:金):小学校のときに描いてた絵が友達に褒められたことですね。

:どういったときに褒められましたか。

:ノートの端に描いたり、みんなで絵を描くときに褒められました。

:先生にも褒められたりしましたか?

:基本友達でしたね。小さいころから絵を描くのが好きでした。

:どんな絵を描かれていましたか?

:ポケモンとか遊戯王のブルーアイズが好きだったのでよく描いていました。

:こどもの頃に夢中になっていたことを教えてください。

:漫画やゲーム、スポーツも好きでした。野球とかを見るのも好きでした。友達とも遊んでいました。あとはアニメも好きでした。アニマックスとかカ―トゥーンネットワーク、バックスバニーとかも好きやし、映画も母がよく好きなんで一緒にこどもの頃から見てました。
作品みたいなものにはいっぱい触れていたのかも知れないです。

:自然と取り入れてたんですね。

:そうですね。浴びることは多かった気がします。

:そういうイメージを今自分で描いてみるという感じなんですかね。

:そうですね漫画家になれたらいいなと思ってた。実際には今は漫画家というより、漫画原作者ですけどね。絵のところではなく、お話を考えるというので落ちつきました。最初は全部やりたかったんですけどね。

:こどもの頃の夢や目標と言われたら漫画家だったんですね。

:漫画家って言ってましたね。
別に確固たるものがあって言ってたわけじゃなくて、みんなから褒められたし、みんなも何かしら夢を持っていたので、僕は漫画家かなぁみたいな感じでした。

:卒業文集とかに書かないといけないからとかですか?

:そうですね。実際に漫画家って書きましたし、自分のキャラクター付けみたいな感じじゃないすかね。大それたものではなかった。

影響を受けた作品について

:特に影響を受けたような作品とか作者さんはいらっしゃいますか。

:「カイジ」と「ピンポン」と「マキバオー」です。

:僕もマキバオー好きですよ。

:有馬記念はもう号泣して読んでましたね。あれは最高でしたね。カスケードがボロボロになって出てくるんですよ。もう走れないのにね。
他にも「ワンピース」、「シャーマンキング」も「NARUTO」とかもめっちゃ読んでいました。当時男の子が好きそうな漫画を読んでいましたね。

:この作者さんっていう感じで決まった人の作品を読んでたとかじゃないんですね。

:僕は特にそのようには読まないですね。読むときにその作者のイメージがつくの苦手なんですよ。

:漫画家になろうと思って、それに向けて特別に取り組んだことはありますか?

:絵はある程度は人よりは描けた方なので、中学校いって絵の勉強とか全くしてなくて、でも漫画家になるのは決めてるから、学校の間はネタを集めようって思ってました。
ネタ集めのためにいっぱい色々としようと。例えば文化祭とかのイベントにいっぱい出たりとか。
部活一生懸命やったりとか、普通にいろいろ遊んだりとか。
だから絵の勉強全くしてなかったです()
もうむしろ全部ネタ集めやと思って暮らしていました。

学生時代の部活や習い事について

:部活は何をされてましたか?

:吹奏楽部ですね。うちは4人きょうだい(姉・自分・弟・妹)なんですけど、全員吹奏楽部でしたね。

:家族でミニオーケストラできるかもしれませんね。

:できるかもしれませんね。トロンボーンとかトランペットとか、4人でカルテットできますね。

:小さいときに、お父さんお母さんに絵を習われたりしたことはありますか。

:絵は何も教わってないと思います。習い事が苦手なんですよ。
エイサーも苦手で辞めちゃいましたし()
三線を習いにも行ってたけど、僕と弟はすぐ辞めました。家で漫画読んでる方が楽しかった。

:誰からも教わってなかったということは、才能的に絵が上手だったんですね。

:どーですかね?絵心はあったんじゃないですかね。
でも大人になって本当にプロでやっていくっていうレベルで見たときに、もうこれは全然無理だってなりました。プロの人はめちゃくちゃうまいっす。全然違う。
僕がそのいろいろなことをしてた8年間のあいだに、プロを目指す人は絵を描くことを何年も頑張ってて、僕より絵を描くことが好きなんです。そこで1回諦めましたね。
なので元々やりたかった漫画家って形ではない、原作者という形になった。それはありがたいことなんですけど。完全に挫折しました。

後輩たちにメッセージ

:そのような経験も踏まえて、後輩たちにメッセージをお願いします。

:とりあえずやってみるっていうことですかね。
何か大きい夢とかじゃなくていいから、やりたいって思ったことをやったらいいんじゃないかなと思います。夢ってなるとかしこまるというか、将来の職業とかってなるじゃないですか。
それってカタいというか。結構勇気いるじゃないですかそれ言うの。だから別にそんなこと無理に考えなくていいんじゃないかと思うんですよね。
中ぐらいの夢やちっちゃい夢ならいっぱいあるじゃないですか。「あれ食べてみたい」とか「あそこ行きたい」とか。こーゆーのも自分の夢や目標と思えばいい。その中で大きいのが「あれになりたい」とか大きい夢になるって順番で考えた方がなんか生きやすいし、別に誰もがみんな大きい夢持たなあかんっていうのは、僕はあまり思わない。

僕らのときは多分大きい夢を持つということがいいこと、正しいこと、素晴らしいことって世の中だった気がするんですけど、いまの僕はなんか割と別にそんなこともない気がしています。だってしんどいし()
それより自分で自分をちゃんと楽しく生きていく延長線上に、ちっちゃい夢や中ぐらいの夢があって、大きい夢に行けそうやったら行ったらいいし、行かなくてもいい。
自分の人生楽しく生きた方がいいですね。
僕は夢のために生きた時間もあったけど、叶わなかったですから。
実際にその漫画家っていう夢は。
僕がなったのは漫画原作者なので、夢は叶わなかった。
でも後悔は無いです。子どもの頃に思ってもみなかった職業になれたので。

金城宗幸さん2

大阪や大正区の魅力について

:ちょっと方向性が変わる質問になりますが、大正区や大阪の魅力をどう感じておられますか。

:なるほど。
大阪だけで言うと、圧倒的に人生で喋る量が多いんじゃないですかね。
あと、面白がるっていう時間が多いんじゃないですかね。
面白いってことに対して、みんなナチュラルに敏感であらねばいけないという感じじゃないですか。
でもそんなことないんですよ。大阪以外は()
なんで全部面白がろうとしているんだろうと思ってるんですよ、東京とか他の場所の人は。大阪は良くも悪くもそれがあるんでそれが特徴だと思っているし、大阪って皆そういうふうに育って、面白がっている。
そんな環境がよかったなとは思う一方、それで誰かを傷つけていることもあると思います。自分が大阪以外の出身だったら、大阪ちょっと苦手かもですね。
大阪を出た人あるあるだとおもいます。別にそんな強要するべきではないですからね。おもろいかどうかは()

:僕も最近気づいています。
オチのない話をするなと言うとか、ノリ突っ込みを強要するとか。これギャグハラやなって言ってます。

:僕は好きですけどね()。どっちの側面もありますよね。
大正の印象は、なんか下町な感じが好きです。チャリで難波とか行けるし便利やし。
でも、別に変にギラギラはしてない、みたいなこのゆるーい感じが好きですね。

漫画原作者という仕事について

:漫画原作者さんっていうところで質問です。金城さんについては、いろいろな作品を出されていて作品ごとに作画担当者が違いますよね。ストーリーを構成するにあたって作画担当者と話をする時に意見の食い違いが出るということはありますか。

:基本は僕が作った原作をどうやって絵にしますかって相談を毎回原稿の段階でしてるんです。その時にこのキャラクターってこの口調で喋りますかねとか。
作画担当者も、このコマ割りにした方がよくないですか。とか言ってくれるんすよ。
映画で言うと、僕が脚本と監督をやってて、(作画担当者は)演者さんみたいなもの。だから、こうやってみていいですかとか、これってこういう解釈ですかみたいなこと聞かれたときに、一応全部返せる答えを持ってないといけない。
それに基本、作画担当者が原作に違和感があるなら、それを解消する演出に変えるようにしています。
自分が作った通りにやれとは思ってないし、ひとりで作ってるわけでは無いので。コミュニケーションはしっかり取って、作画の方の感覚を尊重したいんです。
絵を描ける人って本当にすごいですよ。イラストとは違うんです。イラストが上手い人と漫画が上手い人は違う。
漫画を描くことに人生かけてる人だからこそ、何を書きたいんだろうっていうところは尊重したい。でもたまに、まだ本人が自覚していない絵の魅力っていうのがあったりするんです。本人は泣きの絵が上手いと思ってるかもしれないけど、イライラした顔の方がより魅力的に描けるってパターンとか。そういう時は連載の次の話で、イライラしてる顔を大きいコマにしたりします。
お互い1人で成立するだけの漫画を描いてても原作者としては意味がないんで、一緒に作ったときに、こんなアイデア出てきた、引き出してもらったみたいなことを思ってもらえればいいなと心がけてます。

:では、作品を通して伝えたいメッセージって何ですか。

:作品一つずつ全然違うんですけど、今の自分が考えてることってのはすごい大事にしてます。なんか、今の自分を伝えないとホットな感じに伝わらないじゃないですか。温めて、前に思ってたことを今書いてもなんかあんまり乗らないんですよね。なので今思ってることを入れるようしています。それが漫画の良いところかなと。漫画は連載なので現在進行形で作品が作られていく。映画やドラマは明確なメッセージというかテーマがあって、オチが決まって作られてると思うんです。
それが表現としてまとまってて見やすいっていうのはあるんですけど。漫画って途中から内容変わったりするじゃないですか。今週こうなったか!みたいな。その週に漫画家の頭の中でライブで作られていく。そういう表現文化なので、それを楽しんでいます。

:僕らがテレビとかでイメージのある、締め切りが近づくと編集者の人が家に来て急かしたりするような場面は実際にあるんですか。

:編集者が来るとかはないですね()。もうほとんどの方がリモートです。僕の場合は、僕の原作が出来てから漫画家さんが描くので、これが遅れちゃ駄目なんですよ。僕が描けなくて作品がストップする事だけはないようにしています。

:もっと色々とお伺いしたいのですが講演の時間が迫ってきましたので、インタビューは終了させていただきます。本日は貴重なお話をしていただきありがとうございました。


SNSリンクは別ウィンドウで開きます

  • Facebookでシェア
  • Xでポストする
  • LINEで送る

探している情報が見つからない

【アンケート】このページに対してご意見をお聞かせください

入力欄を開く

ご注意

  1. こちらはアンケートのため、ご質問等については、直接担当部署へお問い合わせください。
  2. 市政全般に関わるご意見・ご要望、ご提案などについては、市民の声へお寄せください。
  3. 住所・電話番号など個人情報を含む内容は記入しないでください。

このページの作成者・問合せ先

大阪市大正区役所 保健福祉課こども・教育グループ

〒551-8501 大阪市大正区千島2丁目7番95号(大正区役所3階)

電話:06‐4394‐9914

ファックス:06-6554-7153

メール送信フォーム

このページへの別ルート

表示