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【戦後70年記念事業】あらためて考える 平和の大切さ

2015年8月1日

ページ番号:318495

あらためて考える 平和の大切さ

 今年、平成27年は戦後70年です。昭和20年8月15日に終結した第二次世界大戦は、数千万人の人々の生命を奪うとともに、多くの人々を不幸にしました。国内でも、広島や長崎に原爆が投下され、壊滅的な被害を受けました。

大阪大空襲を知っていますか?

 大阪への空襲は昭和19年から始まり、大小合わせて50回を超える空襲が行われました。その中でもB29が100機以上に及ぶ「大空襲」は8回を数えます。昭和20年3月13日深夜から14日未明にかけての第一次大阪大空襲などにより、約1万5000人もの方が犠牲となり、大阪の街は一面の廃墟と化しました。

大阪大空襲一覧
日時来襲機数被災戸数被災者数死者
第一次 3月13日深夜~14日B29:274機136, 107戸501, 578人3, 987人
第二次6月1日朝B29:458機
P51:少数
65, 183戸218, 682人3, 112人
第三次6月7日昼B29:409機
P51:138機
58, 165戸199, 105人2, 759人
第四次6月15日朝B29:444機53, 112戸176, 451人   477人
第五次6月26日朝B29:173機10, 423戸43, 339人    681人
第六次7月10日夜(未明)B29:116機16, 488戸65, 825人1, 394人
第七次7月24日朝B29:117機     893戸  3, 503人   214人
第八次8月14日昼B29:145機
小型機:若干
  1, 843戸  2, 967人   359人

体験談(牛島 淳勝さん)

牛島さん

6月7日の大空襲の時、私は十三に住む小学校6年生でした。その日のお昼、何百機ものB29が飛来し、大雨が降った時のようなザーッという音と共に、大量の焼夷弾が降り注ぎました。炎は地面を舐めるように這い、十三のまちは焼け野原となりました。未だにあの「ザーッ」という音が忘れられません。

空襲の後の道頓堀川

道頓堀川

空襲の後の心斎橋・島之内

心斎橋・島之内

改めて考えてみましょう 戦争の悲惨さと平和の尊さを

 終戦から70年がたち、焼け野原となった街が復興・発展して活動力に満ちた街に生まれ変わりました。それと同時に、戦争を体験した世代が少なくなり、戦争を知らない世代が増えています。しかし、私たちは、戦争体験を風化させることなく戦争の悲惨さ、平和の尊さを将来にわたって語り継がなければなりません。

 戦後70年という節目の年に、皆さんも、戦争の悲惨さと平和の尊さについて、あらためて考えてみませんか。

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