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平野区の都市景観資源

2018年11月20日

ページ番号:196283

平野区の都市景観資源について

 大阪市では、平成16年度に平野区の都市景観資源(旧・指定景観形成物)2件を登録するとともに、平成23年度に平野区の都市景観資源の発掘のため、「わがまち自慢の景観」を募集し、大阪市都市景観委員会の審議を経て、平成24年12月21日に11件、平成25年3月8日に1件、平成26年3月20日に1件を都市景観資源に登録しました。

都市景観資源一覧表
杭全神社大念佛寺奥田邸とその裏の道 
旧屋敷小路(喜連環濠地区内) 式内楯原神社如願寺

八坂神社と椋の木

喜連環濠地区の6つの地蔵尊(北口、尻矢口、西口、馬倉、東口、南口)

末吉家住宅

赤留比売命神社(三十歩神社)旧南海電鉄平野線平野駅跡プロムナード小林新聞舗店舗
野中山 全興寺平野環濠跡平野郷・十三口の地蔵尊

平成16年度登録の都市景観資源(旧・指定景観形成物)

杭全神社(くまたじんじゃ)

登録年月日

平成16年10月8日

所在地

大阪市平野区平野宮町2丁目1番67号

概要

 平安時代の初め、貞観4(862)年に坂上廣野麿の子當道が、氏神を祭ったのが始まりとされる神社である。社殿のうち第二殿・第三殿は、永正10(1513)年造営の記録があり、第一殿とあわせて国の重要文化財に、全国で唯一の連歌所は市の指定文化財に、また、境内のクスノキとイチョウが市の保存樹にそれぞれ指定されている。

講評

平野区都市景観資源(杭全神社)

 時と大地が育てた木々は、立派な緑のかたまりとして、この厳かな空間を包み込んでいる。樹齢1000年の楠、500年を超える銀杏、それらに負けずと育ち続ける周辺の木立の中、周囲の街並とは一線を引く聖域が存在する。緑の襞の中、分け入ると、社殿、連歌所が歴史の襞も刻みながら、願い人、散歩人の日常を受け入れる。東には平野の歴史を語る旧環濠の流れが残り、周辺に整備された公園と共に、重要な地域の景観拠点となっている。 [大阪市都市景観委員 藤本英子]

大念佛寺(だいねんぶつじ)

登録年月日

平成16年10月8日

所在地

大阪市平野区平野上町1丁目7番26号

概要

 融通念仏宗の総本山で、大治2(1127)年に聖応大師(良忍上人)が開基したと伝えられている。明治31(1898)年に火災があり本堂以下多数の堂宇を失った。現在の本堂は昭和13(1938)年に竣工した大阪府内最大の木造建築物で、国の登録有形文化財に指定されている。また、境内のクスノキとイチョウが市の保存樹に指定されている。

講評

平野区都市景観資源(大念佛寺)

 大念佛寺は、碁盤目の町並みの環濠集落として中近世期に大いに繁栄した旧平野郷の西北隅に位置する。瀟洒な意匠の参道部を経て山門を潜るとゆったりした境内空間に包み込まれ、気分が落ち着く。悠然と控える最大級の木造建築・本堂、余裕のある施設配置、クスノキ・イチョウの保存樹を中心とする豊かな緑などが景観的魅力の源泉である。その空間的・景観的ゆとりは、旧集落や周辺市街地の高密度感を和らげる役割をも担っている。 [大阪市都市景観委員 田端修]

平成24年度・平成25年度登録の都市景観資源

奥田邸とその裏の道(おくだていとそのうらのみち)

平野区都市景観資源(奥田邸とその裏の道)

所在地

平野区加美鞍作(くらつくり)1丁目8番5号

概要

 代々鞍作の庄屋をつとめた奥田家の邸宅。現在の屋敷の建築年代は明らかではないが、手法から江戸時代初期の豪農の家と考えられる。市内に残る数少ない民家である。敷地をはじめ主屋・座敷・長屋門・納屋などが国の重要文化財に指定されている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 庄屋であった奥田家の非常に大きな屋敷で、上部が白壁になった板塀とその上部を覆う樹木群がリズム感のある景観を作り出している。また、奥田邸の敷地内の樹木と、裏の道の反対側のマンション敷地内にある大きな楠とが調和し、落ち着いた景観を形成している。

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旧屋敷小路(喜連環濠地区内)(きゅうやしきこうじ[きれかんごうちくない])

平野区都市景観資源(旧屋敷小路(喜連環濠地区内))

所在地

平野区喜連4丁目4番、6番付近

概要

 喜連環濠地区の旧中高野街道沿いには、江戸期から明治期にかけて建てられた旧家の建物など、歴史的まち並みが残されている。古代の村が中世の環濠集落、近世の惣村へと発展していったことを裏付ける遺跡群が再発見され、その歴史が明らかになりつつある。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 通りの両側に、江戸時代の住宅がほぼ昔のままの姿で残っている貴重な景観である。通りに面しては板塀が続くが、その上部から美しく刈り込まれた庭の樹木が見える。ごく一部建て替えられた住宅も、周辺のファサードへの配慮が感じられる。

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式内楯原神社(しきないたてはらじんじゃ)

平野区都市景観資源(式内楯原神社)

所在地

平野区喜連6丁目1番38号

概要

 式内楯原神社は平野区喜連の旧集落のほぼ中央に位置する式内社(しきないしゃ)である。本殿は大型の一間社流造(いっけんしゃりゅうつくり)で、正面向拝(ごはい)の足元には浜床(はまゆか)を据え、向拝上には千鳥破風(ちどりはふ)と唐破風(からはふ)を付ける。屋根は現在は銅板葺(どういたぶき)であるが、もとは檜皮葺(ひわだぶき)であった。庇(ひさし)部分の虹梁(こうりょう)型頭貫(かしらぬき)、木鼻(きばな)、海老虹梁(えびこうりょう)、蟇股(かえるまた)などの形態やこれらに施された彫刻は17世紀初頭の特徴をよく示しており、建立年代をこの時期と考えることができる。細部意匠は古式であり、彫刻類を多用しない身舎(もや)部分の簡素な構造は、市内に数少ない江戸時代初期の特徴をよく示すものとして貴重である。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 喜連旧集落を代表する歴史ある神社であり、景観資源としての価値は高い。現地調査時は、神社の祭りが開催されていた。屋台が並び、浴衣を着た子どもたちや地域の人で賑わっており、地域の人々の生活に密着した神社であることが感じられた。

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如願寺(にょがんじ)

平野区都市景観資源(如願寺)

所在地

平野区喜連6丁目1番38号

概要

 崇峻天皇(すしゅん)元年(588年)、聖徳太子により「喜連寺(きれでら)」として創建され、後に弘法大師により再建され、弘仁8年(817年)「如願寺」と改号。木造彩色聖観音立像(もくぞうさいしきせいかんのんりゅうぞう)は平安期作の府指定文化財に指定されているほか、奈良時代の乾漆像(かんしつぞう)である弁財天、平安期の木造地蔵尊(もくぞうじぞうそん)などがある。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

大きく反って張り出した入母屋屋根が美しい。色とりどりの花の咲く洋風ガーデンとの取り合わせが、不思議に馴染む美しい寺である。

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八坂神社と椋の木(やさかじんじゃとむくのき)

平野区都市景観資源(八坂神社と椋の木)

所在地

平野区喜連東2丁目1番14号

概要

 東喜連村の氏神で素盞鳴尊(すさのおのみこと)を祀り、八坂神社と称していたが、嘉永年間に忍坂大中姫命(おしさかのおおなかつひめ)(允恭(いんぎょう)天皇の皇后)を祀る媛天神(ひめてんじん)を合祀して東西神社となった。改称は、合祀により氏子が東西喜連村にまたがることになったので、東西の二字をとった。明治42年、天神・東西・春日の三社は現在の楯原神社に合祀されていたが、氏子の決議にもとづき再び八坂神社とした。昭和26年、東喜連氏子の要望により、東西社・春日社を元の東喜連に分離移転し、同時に地域の氏子も別れることとなった。境内には「椋の木」があり、根元の幹周りは約4m余りもある大木である。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 神社の鳥居をくぐると、目に入る巨大な椋の木。江戸時代から村を知る木として、地域の人に親しまれているそうである。太い幹とうねった枝が境内を覆っており迫力がある。神社と一体となって歴史ある景観をつくっている。

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喜連環濠地区の6つの地蔵尊(北口、尻矢口、西口、馬倉、東口、南口)(きれかんごうちくの6つのじぞうそん[きたぐち、しりやぐち、にしぐち、ばくら、ひがしぐち、みなみぐち])

平野区都市景観資源(喜連環濠地区の6つの地蔵尊)

所在地

平野区喜連3丁目7番,4丁目5,7番、6丁目1,5番

概要

 古くから喜連環濠集落の6か所の出入口には地蔵尊が祀られている。中高野(なかこうや)街道の環濠南入口の大手前を意味する「馬倉(ばくら)地蔵尊」から反時計まわりに、「安政」の石碑が傍らに残っている立派な体格の「東口地蔵尊」、地蔵盆には「寛政」の膳が供えられる「尻矢口(しりやぐち)地蔵尊」(背後の防備を固めたと思われる名称である)、中高野街道の北の玄関口として立派な地蔵堂を備え、環濠を跨いでいた松山橋跡も残る「北口地蔵尊」、本尊の左に謂われ有りげな首地蔵が祀られている「西口地蔵尊」、中世からの歴史を感じさせる線刻(せんこく)の地蔵が脇に控える「南口地蔵尊」である。

6つの地蔵尊の位置と名称から中世の喜連城の惣構(そうがまえ)が浮かび上がる。また、地蔵尊は戦乱の時代に一揆も戦った村の関所跡でもある。戦が止んでからは集落の出入口で田畑に通う人々を見守り、喜連環濠集落を守護する存在として、人々の生活に溶け込んできた。次第にこどもたちを守る仏様に転じ、夏の風物詩「地蔵盆」(毎年8月23、24日)の舞台となって、今もこどもたちに親しまれている。

 地蔵尊は隣近所の人々の温かい善意の気持ちによって何百年と護り続けられている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 喜連環濠の6つの入り口にそれぞれ置かれている地蔵尊。しっとりとした住宅街の角々に、祠に入って大切に祭られ、この地区が歴史あるまちであることを感じさせる景観となっている。

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末吉家住宅(すえよしけじゅうたく)

平野区都市景観資源(末吉家住宅)

所在地

平野区平野上町2丁目3番5号

概要

 末吉家は平野七名家の一家で、東横堀川に今も残る末吉橋を架橋した。平野郷町誌によると、屋敷の竣工は宝永4年(1707年)頃で、築300年を超した現在もその壮麗な屋敷構えを見ることができる。江戸中期に建設された住宅、門、塀、西蔵は、国の登録有形文化財に登録されている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 平安時代の坂上田村麻呂の子孫である末吉家の住宅であり、たいへん長い歴史を持つ。現在の住宅は、1707年に竣工し築300年を超すらしく文化財として登録されている。歴史の深い平野郷と切っても切れない存在であり、認知度も極めて高い。

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赤留比売命神社(三十歩神社)(あかるひめのみことじんじゃ[さんじゅうぶじんじゃ])

平野区都市景観資源(赤留比売命神社(三十歩神社))

所在地

平野区平野東2丁目11番

概要

 杭全(くまた)神社の摂社で、新羅より渡来した女神、赤留比売命を祀る。俗称の三十歩神社は、応永年間(1394~1428年)の干ばつ時に法華経三十部を読誦したところ霊験あらたかであったためと言われる。社殿背後の土塁と松山池に、かつての環濠集落の名残が見られる。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

地域行事として、「あかる姫まつり」が行われており、商店街、地域住民などが協力して祭りを盛り立てている。女神をまつる神社としては非常に古い歴史を持ち、周囲の環濠跡とともに平野らしさが感じられる。

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旧南海電鉄平野線平野駅跡プロムナード(きゅうなんかいでんてつひらのせんひらのえきあとプロムナード)

平野区都市景観資源(旧南海電鉄平野線平野駅跡プロムナード)

所在地

平野区平野本町2丁目3番

概要

 チンチン電車の愛称で親しまれた南海電鉄平野線の軌道跡地に、昭和58年(1983年)に設置された遊歩道。南海電鉄平野線は、大正3年(1914年)開通以来、多くの人々の交通手段として活躍したが、地下鉄谷町線の開通に伴い、昭和55年(1980年)に廃止された。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 廃止されたチンチン電車の軌道跡を公園として有効活用している。かつての電車の絵や、信号、軌道横の木製柵、駅舎風のベンチなど随所に工夫が認められ、駅の名残を残す憩いの場となっている。

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小林新聞舗店舗(こばやししんぶんほてんぽ)

平野区都市景観資源(小林新聞舗店舗)

所在地

平野区平野本町4丁目12番3号

概要

 2つずつ配したアーチ形の窓枠が特徴のレトロな建物で、「新聞屋さん博物館」にもなっている。明治22年(1889年)創業の、市内でもっとも古い新聞販売店で、建物は昭和4年(1929年)に建てられた。平成19年(2007年)国の登録文化財となった。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 登録文化財に指定されたアーチ状の窓が特徴的な近代建築。商店街の中に、レトロな景観を作り出している。この建築だけでなく、周辺の飲食店なども同質の雰囲気を醸し出しており、一体がタイムスリップしたような空間になっている。

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野中山 全興寺(やっちゅうざん せんこうじ)

平野区都市景観資源(野中山 全興寺(やっちゅうざん せんこうじ))

所在地

平野区平野本町4丁目12番21号

概要

 1300年前、聖徳太子が建立し、薬師如来像を安置したのが草創と伝えられる。焼失により寛文元年(1661年)に再建された本堂は、府下でもっとも古い木造建築の一つ。境内には「地獄堂」や「小さな駄菓子屋さん博物館」等があり、来訪者を楽しませている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 平野環濠の中心に位置し、地域の象徴的な寺院であり、大変よく整備されている。「駄菓子屋さん博物館」「平野の音博物館」など、昭和の歴史とともに地域性が感じられる。地域の活動の拠点にもなっている。

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平野環濠跡(ひらのかんごうあと)

平野区都市景観資源(平野環濠跡)

所在地

平野区平野宮町2丁目1番

概要

 平野環濠のつくられた時期は不明であるが、戦国時代の動乱の時代に自衛と灌漑、排水あるいは洪水の調節池としての役割を担ったと考えられる。まちの周囲にめぐらされた濠は平野川ともつながっていたことから、舟運もひらけ、繁栄の基礎ともなった。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 かつての時代に水陸両面から平野が栄えた象徴ともいうべき遺物である。距離が短くまた人を寄せ付けない構造になっており、現在は親しみにくい空間である。しかし、平野郷の歴史と深く結びついたものであり、地域性が高い。

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平野郷・十三口の地蔵尊(ひらのごう・じゅうさんくちのじぞうそん)

平野区都市景観資源(平野郷・十三口の地蔵尊)

所在地

平野区平野市町3丁目7番、平野上町1丁目5番、平野上町2丁目1番、平野東2丁目3番・4番・11番、平野本町1丁目7番・12番、平野本町4丁目2番・4番・12番21号、平野本町5丁目9番、平野宮町2丁目4番

概要

平野庄本郷は壕と土塁に囲まれた環濠集落で、馬場町(ばばちょう)、泥堂町(でいどうちょう)、市町(いちまち)、野堂町(のどうちょう)、背戸口町(せとぐちちょう)、流町(ながれまち)、西脇町(にしわきちょう)の本郷七町に、惣門と言われる十三の出入口が設けられ、地蔵尊が置かれていた。社内口地蔵は現在、全興寺に安置されているが、他の12箇所のお地蔵さんは、現在も出入口付近に残されている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

平野の環濠集落の13の出入り口に位置するところに置かれている地蔵。現在は商店街の一角などにあり、地域の人に大切にされている。かなり大きく立派な祠にまつられ、存在感のある景観となっている。

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都市計画局 計画部 都市計画課(都市景観)
電話: 06-6208-7885 ファックス: 06-6231-3753
住所: 〒530-8201 大阪市北区中之島1丁目3番20号(大阪市役所7階)

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