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矢柄の地車(矢柄青年團)

2019年1月18日

ページ番号:132

後ろ姿が自慢の3代目

矢柄の地車1

 もとは宅良と書かれた当地は、大坂の陣で、弓矢が飛び交う戦場となったため、矢柄村と言われるようになったと言い伝えられています。そんな矢柄の地車は、初代を明治20年頃に新調して以来、現在で3代目にあたります。昭和23年に大工棟梁は飯田松太郎、彫刻は松田正幸師により三枚板を残して新調した後、同55年に解体修理し、飾り金具を新調しております。平成17年には、大工棟梁は田中隆治師、彫刻は岸和田筒井工房、富山県井波町伝統工芸士澤義博師 (獅噛み三丁・台木の波に鯉)により、彫刻を残して屋形を新調しております。
 自慢の逸品は、後ろ懸魚・後ろ隣懸魚・脇障子・角障子で、後ろ姿はこれぞ松田正幸作を感じさせ、大屋根と小屋根に噛む獅噛みが一層迫力を際立てています。

飾り付けられた町を様々な願いを込めて迫力の曳行

矢柄の地車2


 地車に矢柄村の鎮守である熊野神社(明治40年、巽神社に合祀)御祭神の札を乗せ、当地の家内安全・商売繁盛、また水を願うために綯(な)われている部分は雲を、垂らされた糸は雨を表すとされる金綱を飾り付け、五穀豊穣と、それぞれ様々な願いを込め、当地に約100本もの飾り付けられた長さ250cm・巾70cmの神社奉納のぼりをくぐるように、ゆっくりと曳行していく地車は迫力充分で見応えがあります。

矢柄のハッピ
地車データ
所在地巽東1-10-3
宮入神社巽神社(巽南3-17-19)
責任者(青年團團長) 宝勢 貴司
曳行日7月13~15日、10月13~15日
サイズ幅  250cm
長さ 455cm
高さ 356cm
重量 2600kg
制作者 

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