中川の地車(中川正進会)
2019年1月18日
ページ番号:180
上だんじりの迫力・美しさを堪能できる4層の彫物
中川という地名は平野川の分流中ノ川と呼ばれる細流にちなんでいるといいます。中川村は明治22年に小路村の一部となり、その後村内にあった松尾神社も現在の清見原神社に合祀されました。
明治29年に作られた初代地車から数えて3代目となる現地車は、約10年の歳月をかけ平成21年に完成しました。正面、左右の3枚板と各面をつなぐ隅障子、脇障子は「源平合戦」の彫物で統一され、地車後方はまるで歴史絵巻のように古き合戦の迫力を今に伝えています。
とりわけ正面3枚板は他に例を見ない4層の彫物で重ねられ、源義経のひよどり越え、熊谷次郎直実と平敦盛の戦いの場面など「一の谷の合戦」が描き尽くされている構図は、「上だんじり」の美しさを凝縮しています。
勇壮なやり回しや宮入
最近は若い女性の曳き手が多く華やいだ雰囲気もありますが、夜の曳行は青年が中心となって、やり回しや宮入など勇壮な姿に変化します。
お祭りの前には、地車の昔の彫物で作られた立て看板やのぼりが建てられ、一層お祭りの雰囲気を盛り立てます。

2004年の夏祭りに新調した、背中の「中川」の文字が浮き出て見えるハッピにもぜひご注目ください。
所在地 | 大阪市生野区中川東2-7-28 |
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宮入神社 | 清見原神社(大阪市生野区小路2-24-35) |
責任者 | 樋口 保一 |
曳行日 | 7月31日、8月1日、10月15、16日 |
サイズ | 幅 200cm |
長さ 440cm | |
高さ 340cm | |
重量 3000kg | |
制作者 | 大下工務店 |
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