東桃の地車(東桃 岡地車會)
2019年1月18日
ページ番号:25279
岡の地域を隅々まで盛り上げる地車
岡の地名は「猪飼野岡」の略で、明治22年までこの辺りは岡村と呼ばれていました。大阪の陣では、徳川秀忠がここに陣所を置き、戦勝を祝して名付けられた御勝山も、もとは「岡山」でした。
先代地車を昭和40年に手放して以来、40年ぶり祭を復活させました。
現地車は3代目に当たり、明治中期に製作されたと思われます。現、東大阪の稲田南が所有していた「二番」の地車。様々な経路を辿り、八尾の竹渕の個人が所有していたものを平成16年に譲り受けました。
小ぶりで軽量の地車ですが、岡の地域には適した地車で、狭い道の隅々まで曳行し、地域の祭礼を盛り上げています。
囃子と声で盛り上げる祭をめざして

当地へ来た時には損傷が激しかったものを、できるだけ専門業者の手を借りず、地域の人たちの手により修復したため、参加者の愛着はとても強いものがあります。
昔ながらの古くさい祭をモットーに、大阪の祭本来の持ち味である「囃子」に力を入れて、基本的に走らず、囃子と声で持ち上げる祭をめざしています。

テーマは「古風」。
衣装は大阪本来の浴衣姿で、柄は昔の岡の浴衣をモチーフにデザインされました。また、鉢巻も全員が手ぬぐいの前結びで、これも大阪本来の祭にならった衣装となっています。
所在地 | 大阪市生野区勝山北3-4-12 |
---|---|
宮入神社 | 彌榮神社 |
責任者 | 中山 英信 |
曳行日 | 7月第3土日、10月第2土日 |
サイズ | 幅 196cm |
長さ 364cm | |
高さ 320cm | |
重量 1400kg | |
製作者 | 大工:不明、彫師:彫清 |
探している情報が見つからない
