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猫間川

2011年4月4日

ページ番号:649

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  百済川に対して高麗川(こまがわ)と呼ばれていたのが、訛って猫間川になったといわれています。阿倍野区高松の地に端を発し、源ヶ橋を通り上町台地の水を集めながら、生野区の猫間川筋(川筋は昭和7年(1932年)に下水道工事で道路になっています)から東成区・城東区とJR環状線に沿って流れ、森之宮の砲兵工廠の西北端で平野川に合流していた長さ4.5キロメートル、川幅約10メートルの川です。
流域面積が少ないことから、降雨により一時的に水量を増すことはありましたが、平時は流量も少なかったようです。このため舟運の便も悪く満潮を利用して小舟で物資を運んでいました。大坂の陣では真田幸村とともに猫間川がよく登場しますし、兵糧を搬入したことが記されています。
天保8年(1837年)に幕府は、舟運の便を図るため川底を浚渫しました。このときの川浚えの土砂でできたのが寝駒堤といわれ、堤に植えられた桃・梅などの花見や紅葉狩りで賑わう大坂の名所の一つだったそうです。また浚渫を記念して玉造稲荷神社に石碑が建てられています。
現在は埋め立てられJR西日本森之宮電車区の一部になっています。

 

冬の陣布陣図

 参考資料 岡本良一「大坂冬の陣夏の陣」(筑摩書房)

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